金曜日の深夜から土曜日の早朝へ
午前2時に目が覚めた。昨晩は1週間の疲れが出たのだろう、9時頃に床につきそのまま寝入ってしまった。そのまま起きて、2階の書斎で椅子に座り、強い雨音を聞きながらしばらく物思いに耽った。昨晩読んだ日本経済新聞夕刊のシネマ万華鏡の映画評論に、心が波立っているのを感じる。映画の一つは「グランド・ブダペスト・ホテル」。もう一つは「闇のあとの光」。若い頃、なぜ東欧に惹かれたのだろうか。そんなことを考える。耳元のチターで弾かれるジプシー音楽が聞こえてくる。ハンガリーのブダペストで、最初に泊まったのはドナウ川沿いのインターコンチネンタルホテル。下宿先も決まり、落ち着いてからは時々人に会うためにゲラルトホテルのレストランに行ったことがある。丘の上のホテルでドナウ川を見下ろすところにあった。隣の教会の大きく厚い木の扉を思い出す。
ブダとペストをつなぐ鉄橋を歩いてペストの知人のところに通った。私はハンガリー語を学び、彼女には日本語を教えた。正確には教えたというより彼女に日本語で会話をする機会を提供させてもらった、というべきだろう。彼女は通訳者同盟の責任者で13ヶ国語を話せるとのことだった。60歳は過ぎていただろうか。ユダヤ人だった。そんなことを思い出しているうちに夜から朝に向けて空がグラデーションのように明るみ始めた。と同時に、鳥の鋭いさえずりが聞こえてきた。窓を開ける。夜気に冷やされた風が朝風となって流れ込んでくる。もう一度ブダペストに行ってみたい。当時とは随分変っていることだろう。その変化を知りたいと思うし、また変っていないところも見つけたい。そして「闇のあとの光」。映画評論家はこの映画の印象を「この世界がもはやあと戻りのきかない形で壊れ始めているという底知れぬ不安感である」と伝えている。人が壊れ、家族が壊れ、共同体が壊れ、社会が壊れていく。闇は深まるばかりなのに、光はやってくるというは叶わぬ願い、幻想なのだろうか。かつて人は自然と共同体と神の懐の中で生きてきた。星座を地図にして旅をする時代があった。旅は冒険でもあった。今私達は何を地図にして旅を続けていったら良いのだろうか。現在の私達は旅という経験さえ失い、単なる空間移動をしているだけなのかもしれない。
共同体も神も失われたと言われる現在、私達に残されているのは自然だけなのかもしれない。経済発展のために破壊し、汚染してきた自然。私達はしばしば言う。「自然に優しい商品」と。しかし本当は逆なのかもしれない。今こそ人は自然の懐に戻る時なのだろう。あれほど傷つけた自然に。それはあたかも放蕩息子の帰棟のようだ。・・・そんなことを考えているうちに空はすっかり明るみ、朝がやって来た。
来週はこの2つの映画を見逃さないようにしよう。