野原に見る雑草の多様性

屋上緑化、屋上菜園の仕事をしていると、無意識のうちの雑草を害草と見るようになる。雑草は除草の対象ということだ。農業は雑草との戦い、という言葉もある。有機農業の場合は「共生」がコンセプトになるので、雑草の価値に目を向ける。天敵である益虫の棲家になる、というのはその一例だろう。さて今日は品川区の小学校の屋上に野菜講習会の件で来ている。屋上菜園に隣接した芝生緑化が水不足のためだろう、芝生ではなくていろいろな雑草が生えている。草のパッチワークのようだ。オヒシバ、メヒシバ、カヤツリグサ、カタバミ、ネジリソウ、コニシキソウ、ノミノツヅリ・・・。全員が揃う迄、雑草の野原の上に車座になって、さながら野原カフェ。雑草の分布状態を見るとそれぞれ群れをつくっていることが分る。芝生が枯れても雑草はその後に生えてくる。逞しい。雑草を見ながら、人の手を借りないで独力で生きていく雑草の生命力、日頃は名前を呼ばれずに「雑草」ということで一くくりにされてしまうが、雑草の世界の多様性。春の七草も秋の七草も言ってみれば雑草の種類だろう。雑草の中には食べられるものがあるということだ。飽食の時代ではそんなことは考えられもしないが、昔は雑草を食べて命を繋いだこともあったはずだ。それにしても雑草達はどこから、どのようにしてこの小学校の屋上に来たのだろうか。風に乗って、あるいは鳥のフンに混ざってだろう。たかが雑草、されど雑草。