視点を敏感に、日常生活の非日常

 

短編集「嵐のピクニック」で第7回大江健三郎賞を受賞した本谷有希子さんのインタビュー記事が東京新聞の夕刊に掲載されていた。その中で興味深い話があるので、引用する。「何でも小説になるんだと思うようになりましたね。自分の視点、見方さえ敏感に持っていれば、ただの生活の中にも、小説的だなと感じることが一杯ある。何もない日常をどれだけ魅力的に書けるかという部分がすごく面白いと思うんです」私は本谷有希子という作家は今回初めて知った。本谷さんの話の中でビジネスモデル的に注目したいのは2点だ。まず第一は視点、見方を敏感にする、という個所。視点、見方を「変える」とは言っていない。敏感にするとはどういうことだろうか。本谷さんの言おうとすることはこれだけでは分からないが、この敏感という言葉に触発されて私なりに思うことは「観察する」ということだ。私達は見ているようで実際には見ていないことがある。私は学生時代、ある先生から観察ということについてあることを教えられた。それは一枚の木の葉を見る、ということだった。一枚の葉を見続けていると葉脈、葉の表裏の色の違い、葉のフォルムなど部分部分が見えてくる。それが見る、ということなのだろう。もう一つは共感ということだ。これは最近私なりに気がついたことだ。共感とは相手の目や感情を通して、「あたかもその人であるかのように理解する」とのことだ。私達はいつも私の立場で物事を感じ、考えるので、その人であるかのように理解することはとても難しい。ビジネスも現在の日常活動の中で行なわれている。見ることと共感する、敏感さを持っていればそこに何か見えてくるものがあるはずだ。他の人には見えない、感じられないことを見て、感じる経験はきっとワクワクするものだろう。毎日忙しい、忙しいと言っているようでは敏感さは生まれてこないのかもしれない。近い内に「嵐のピクニック」を買って読んでみることにしよう。