菜根譚を読む

釈 宗演著の「菜根譚講和」を斉藤孝氏の訳で折に触れて読んでいる。読み方はまさにいい加減で目次を見て、その日目に留まったところを読む。今日のタイトルは「晩年に『もうひと花』咲かせる」(前集199)。斉藤氏の訳はこうだ。

「日がすでに西の山に沈もうとするとき、なお夕映えは紅色の美しく輝いている。一年がまさに暮れようとするとき、柑橘類は一段とかぐわしい香を漂わせている。天地自然がこのようであるように、立派な人物たるものは、人生の晩年に際して、気力も百倍にも奮い立たせて、大いに期するところがなければならない」

庭の柚子の木が黄色い実をたわわにつけている。昨晩いくつかを収穫して食卓に置いた。上品な香りだ。それだけで食卓が爽やかな場所になる。そして元気が出てくる。私は立派な人物にはほど遠いが、この講話には励まされる。気力百倍には及ばないが、せめて十倍ぐらいは発揮して、大いに期したい。

兵士達が老年になってその故国の家庭で、古い傷跡を見せ、戦いの思い出を語るように、人生の戦いで私達は多くの傷を負ってきた。そして人には見せない深い傷跡もある。それらの古傷が時々思い出すかのように痛む時もある。それでも、と菜根譚講話を言っているのかもしれない。気力を奮い立たせよ、と。

「故に末路晩年は君子さらに宜しく精神百倍すべし」。それにしても「もうひと花」」はどんな花になることだろうか。大いに期待したい。