物語の力と脚本の力
今日のテレビ「ナニコレ珍百景」で馬車馬とある若い女性の話を取り上げていた。岩手県の起業セミナーで彼女は馬車馬に外国のようにウエディングで馬車を引かせ、馬車馬の活躍の機会をつくろうとした。彼女は以前乗馬俱楽部で働いていたが、俱楽部の事業が閉鎖するのに伴い、その馬も処分されることになったが、彼女はその馬を救うため自分のなけなしの貯金をはたき馬を買い取った。それから8年、苦労が続いた。起業セミナーの時、彼女は馬車ウエディングビジネスについてプレゼンすることになっていたが、話したのは馬と彼女の8年間の出来事だった。セミナーに参加していた警察署長が感動して、協力を約束してくれた。そして現在馬車馬も元気に活躍している。警察署長を動かしたのは物語の力、だった。
さて脚本はある文脈の中でデイティールを、つまり登場人物、その表情、言葉、情景の流れを描く。受け手にとってはさらに印象が具体的になり、私達の感情に迫ってくる。
マッサンの中で忘れがたい光景を挙げたい。一馬が遺書を書き、それを読んだ熊虎の表情。出征の日、一馬の頭をバリカンで刈る手を止めて「生きて帰ってこい」と言う熊虎、見守っている姉のハナ。そして見送りの時、「待て」と呼び止めて一馬を抱きしめる熊虎。このあたりは脚本家の腕の冴えを感じさせる。熊虎は一馬の本当の気持ちを知ることができた。
それがせめても救いだったかもしれない。戦地の一馬も遺書で父親に真情を吐露し、親子の絆を確かなものにすることができたことで、どのような死に方をしたかは分からないが、絶命の瞬間、故国に向って心から「お父さん」と呼ぶことができただろう。
東日本大震災から4年、別れの言葉を聞くことなく、突然家族を失った人達の無念、寂しさを思わずにはいられない。