燃え尽き症候群
中年期に燃え尽き症候群になる人が少なくない。私の若い友人は30代後半、もうすぐ40才になるが、「もうなってますよ」と言う。彼の話を聞いてみると、そうなっても仕方ないなと思うが、思わず「それは通過点でその先があるから」と言わずにはいられなかった。
私自身も30代半ばに燃え尽き症候群になり、うつ的状態になった。その時の辛さを今でも思い出すことができるが、今になって分ることだが、燃え尽きたのは「自我という殻」だった。それまで自分を閉じ込め、視野を狭くしていた、自我意識だったように思う。とにかく当時は自分のことが気になって仕方なかった。私の場合うつ状態は2年間ほど続いたが、丁度その頃、海外に勤務する話が持ち上がり、結局東南アジアの国に駐在することになった。私にとってこれは一つの転機になった。東南アジアの人々と付き合うようになって彼らの楽観的な生き方から学ぶことが多くあった。
そして帰国してから、運命の導きで小企業を経営することになった。経営者としての能力不足に悩み、それに個人的出来事も加わり、前回以上の燃え尽き症候群に陥った。今回の燃え尽き症候群は深刻だった。自分という存在自体が焼き尽くされたように感じた。死にたいと思ったことも度々あった。
それから自分という人間の存在を問い続ける人生の旅が続いた。そして現在、生きることに積極的意味さえも感じながら生きている。どこでどのように変ったのかは自分自身でさえ、はっきりは分からないし、説明もできない。
ただ一つ言えることは、余計なことは考えずに「ただ生きること」ではないかと思う。そう思えた時、何かから自由になれた気がした。と同時に本来の自分が遅ればせながらやってきた。今にして思うのは、焼きつくされるべきものは焼かれればいい。その中で火に精錬されたものが生まれてくる。
燃え尽きることは辛いことである。しかしその紅蓮の火の中で精錬される金があることを私は自分の人生から学んだ。