江戸時代300藩の自助努力に学ぶ
徳川幕府の時代、全国に藩は300あった。単純に考えれば現在の1つの県に7~8つの藩があったことになる。そして徳川幕府の時代、藩は10割自治で、自活していかなければならなかった。誰にも頼ることはできなかった。自活のためにはまずは経済的自立が最優先課題となった。現在のように地方交付金などはなく、逆に公儀普請、参勤交代で莫大な支出を余儀なくされた。藩の財政を預かる責任者の苦悩はいかばかりだったろうか。あの加賀百万石と言われる前田藩も決して楽ではなかったようだ。そのため藩の大小を問わず、藩主と家臣が米以外の経済的収入の道を確保しようと必死に努力を傾けた。2つ例を挙げたい。一つは越中富山藩藩主前田正圃(まさとし)。幕藩体制初期の頃は質素で清廉潔白な殿様が名君だったが、時代が変り、金を稼ぐ藩主が名君となった。当時備前万代家の「反魂丹」がトップブランドで、冨山藩の「反魂丹」は3流のコピー商品扱いをされていた。正圃は富山藩の「反魂丹」を有名にする機会を狙っていた。まさに商売人のタイプだ。江戸城に登城した奥州三春藩主・秋田輝季(てるすえ)が突如腹痛の発作に襲われた時、自分の印籠に入れた富山藩の「反魂丹」を飲ませたところ腹痛が直ぐに治まり、それがたちまち大評判に。正圃は女好きで贅沢も大好きというタイプだったが、彼の置き薬ビジネスの理念は素晴らしい。商売人というより実業家というところだろうか。もう一つ。近畿の大和郡山藩は金魚で有名だ。1724年、甲府から郡山に移封される時、甲州で飼育していた金魚を代々の藩主と家臣達が飼育し、金魚養殖が藩財政を潤した。郡山市で毎年開催されている「金魚すくい」が現在では「全国金魚すくい選手権大会」にまで発展し、全国ブランドになっている。自分の藩の特産物を開発し、全国ブランドにまで高め、藩の財政を潤す。勿論簡単なことではなかったと思うが、その自活、自立の心意気を私達も学びたいと思う。