建設労働の現場から人がいなくなっていく 

以前建設資材を販売する会社を経営していた。納入先はゼネコンが多かった。私が社長をしていた頃はゼネコン危機の時期で、売上が焦げ付かないか、与信管理に腐心した。当時は準大手のゼネコンでも倒産する危険性があった。今のような建設労働者が不足すると言う問題は無かったが、現在の予兆はあった。ゼネコンの一次下請け、二次下請けは仕事が減っていても、労働者がだぶついている状態だったので、食べつなぐためにも場合によっては赤字でも仕方なく仕事を取った。しかしこのような状態がいつまでも続く訳がない。

当時関連産業も含めると建設労働人口は約200万人と言われた。恐らく産業別の就業人口では建設業界がトップだった。

さて建設関係で仕事をしていて、「これでは若い人は一次下請け、二次下請けには来ないだろう」と思った。理由の一つ。ゼネコンは一次下請け、二次下請けに拡大再生できるような利益を与えない。「食べていくだけで精一杯」だ。若い力を育てるような余裕を与えないやり方だ。ゼネコンの言い分は、「イヤなら結構、他にいくらでもウチの仕事をやりたいという下請けはいるんだ」二つ目の理由はやはり現場には危険な仕事もある。これは一般の建設作業とはちょっと違うが、発電所から消費地に電力を送るための送電線工事などでは建設労働者の高齢化が特に進んでいる。技術の継承のために若い人を採用しても高所の送電線架線工事の現場に連れていくと翌日には辞めてしまう、という事態が続いた。「コンビニの時給の1.5倍ぐらいの給料ではとてもこんな危険な仕事はやってられない」という訳だ。

私は日本社会には肉体労働、現場仕事を一つ下の仕事と見る、一種の偏見がはびこっているのではないかと感じている。敢えて言うなら差別的意識がある。

若い母親が建設現場の近く通った時に、子供に「しっかり勉強しないと、ああいう風になってしまうのよ」と言ったとの話を何かで読んだ。

東北の復興も建設労働者不足で入札も不調に終るケースが多いと聞く。日本の建設業界は衰退し、劣化しつつある。日本の労働力はサービス産業にこれからドンドン移行していくだろう。人材を育ててこなかったツケを、封建的な下請け構造の報いをイヤと言うほど味わうことになるだろう。一次下請け、二次下請けに寄って支えられてきたゼネコンは、自分達だけでは何もできない無力感と、経済構造の変化・成熟化の中で、衰退産業に区分けされる悲哀をトコトン知ることになるだろう。

もっと早く気がついていたら事態は変っていたことだろう。