事実と真実
テレビドラマのサスペンスものを見ていると、例えば杉下右京が「私が知りたいのは真実なのです」と言う。考えてみるとバラバラな事実を結び付け、事実の背後の真実を見つけ出す、その意外性がサスペンスドラマの面白さのようにも思う。事実についての概念規定はある意味では簡単かもしれない。現実に発生した客観的事柄であり、また科学的にも照明できる、と説明できる。しかし真実の概念規定はそれほど簡単ではない。なぜなら客観的事柄に対する主観的態度、反応を統合したものであり、主観性のバイアスで真実のあり方が変ってくる可能性があるからだ。「イエスはなぜわがままなのか」を書いたフェリス女学院院長の岡野昌雄氏は夕焼けの例を挙げる。
夕焼けで空が赤く染まっているという現象そのものが「事実」とすると、「真実」とは夕焼けを見た時に、その人が感じたこと、それに心を打たれたという出来事そのもののことです。・・・そしてその表現を受けとった人の中に再現されている感動がまさに真実です。つまり真実とはとても生々しいものであり、ある意味では事実以上に大切な「本当のこと」だと言えます。であると説明している。(P115~116)
大雑把な言い方になるが、私たちが仕事のことを考える時、この仕事の事実とは何か、この仕事の真実とは何か、と考えてみたらどうだろうか。何か新しく見えてくるものがあるかもしれない。