一日は永遠のおまけ

長田弘さんの詩集「最後の詩集」は自分のこころの傍においておきたい特別な音色をかなでるオルゴールのような詩の集まりだ。今日夕方、詩集を読みながら「One day」という詩の前で暫く立ち止まった。これは誰のことだろうか。詩を繰り返し読みながら、ある人のことを思った。そしてまた詩に帰っていった。

「朝早く一人静かに起きて

本をひらく人がいた頃

その一人のために太陽はのぼってきて

世界を明るくしたのだ」

私たちが本を読むのは昔の人の悲しみを知るためだろうか。今も昔も人が味わう悲しみは変らない。そして恐らく私たちは悲しみで時代を超え、場所を越えてつながっている。明るい世界の中で人は悲しみと向き合うことができる。

詩の半にこんな会話がある。

「黄金の徒労のほかに

本の森のなかに何がある?

何もなかったとその人は呟いた」

本を読むことは自分と向き合うこと、自分を越えた何かに出会うこと、大きな世界の片隅にポツンといる自分を見つけること。本の森を抜けたところに明るい光で包まれた場所がある。そこは永遠の時が既に流れているところだが、その流れの中から水滴のように一日という粒が落ちてくる。長田はそれを「一日のおまけ付きの永遠」と名付けた。

「永遠のおまけである一日のための本」は永遠の光の中で読む本だ。

長田はこの詩を次の言葉で締め括る。

「人生がよい一日でありますように」。人間的に見れば長い年月も結局は今日一日に集約される。よい一日とは朝毎に「奇跡のように」与えられる。