ラストマン

日経新聞朝刊で日立製作所相談役の川村隆氏が「私の履歴書」20回目で「ラストマン」という言葉を紹介していた。川村氏はこの言葉を氏の課長時代の上司で日立工場長だった綿森力さんから教えてもらった。綿森氏は川村氏に次のように話した。ラストマンとは船の船長ようなもので「嵐が来て万策尽きて船の沈没やむなしとなった時、すべての乗客や船員が下船したのを見届けて、最後に船から離れる。だから船長をラストマンと呼ぶんだ」と。川村氏は「最終責任者とはつらい商売だな」と言う感想を持ったと書いている。それで思い出したのが、私が自分の会社を自主廃業した時のことだった。会社は40名程の小さな規模だったが、会社の将来性を考えて自主廃業に踏み切り、段階的に社員を減らしていった。それぞれの社員が再就職できるようできる限りのことをしながら、自主廃業の業務を代表取締役ではなく代表清算人としてやっていった。最後の不動産が売却出来た時は私も含め、社員は4人になっていた。すべての支払を終えて、最後迄残ってくれた社員3人がそれぞれ再就職した後、本社の建物を明け渡し、書類関係は全部自宅に運び込み、最後の残務処理を自宅で続けた。文字通り一人になった。会社は幸運にも恵まれ、多くの人達に助けて頂き、無事倒産することなく、自主廃業に漕ぎ付けることができた。まさに沈んでいく小さな船を見ながら、一人最後の救命ボートに乗って船を離れていった。自主廃業の最中、その辛さ、哀しさに胸を衝かれ、何度か男泣きした。しかし、沈んでいく船を見ながら、私は悲しいというよりも安堵の気持ちに包まれていた。これで全部終った。あとは再就職した社員がそれぞれの職場で活躍することを願うばかりだ。私は一人救命ボートでオールを使いながら漕いで行った。そしてそれが長い漂流の始まりとも気がつかずに。