旅館篇 第4話
食事の片付けと入れ替わりに女将が部屋に朝の挨拶にきた。「おはようございます!
今日も元気でお健やかにお過ごしください。何かありましたらどうぞご遠慮なくお申し付けください」
ケアアテンダントの山本さんが部屋に入ってきた。「おはようございます。ご気分はいかがですか。体調はどうですか」山本さんは親身になって尋ねている。山本さんは30分ほど前に旅館にきて、体調管理システムのデータをチェックしていた。「これなら大丈夫、でも無理しないようにしましょう」と自分に言い聞かせた。
山本さんは今日のスケジュールを中村様ご夫妻の要望を聞きながら打ち合わせが始まった。地元の観光マップと農家と漁村の訪問先を見ながら楽しそうに話し合っている。
予定としては、前日に決めておけば段取りしやすいのだが、高齢者の場合はその日に
なってみないと体調が分からないので、当日の体調を見て適宜予定を立てたほうが高齢者にも負担がかからない、ということを山本さんは経験から学んでいる。
打ち合わせの結果、午前中に観光の名所を一つ見た後で、農家の高橋さんのお宅を訪問することにした。地元でないと食べられないちょっと珍しい野菜があるとのこと。
午後は観光の名所を2つ、車で行って、ゆっくり見て、それから旅館に戻り夕食。風呂に入ってからマッサージ、と決まった。
中村様のご主人は「さあ、腹ごしらえもできたから、今日は歩くぞ」と元気一杯。
奥様は「あなたに付いていきますが、疲れたら手を引いてくださいね」
午前中の観光名所は散歩がてらいける距離だが、午後の名所は歩いていくには遠すぎるので、山本さんが旅館の車でお二人を案内する。旅館の車は午前中、東條様のご夫妻を乗せて観光名所に行っていた。
午前中の観光名所には散歩がてら。お二人は手ぶらだ。ケアアテンダントの山本さんがお二人の手荷物を運んでいる。お二人は時々立ち止まり、「ちょっと休みたいんですが、いいですか。」「勿論いいですよ」と山本さん。道端の岩の上にシートを敷いてそこに座っていただく。樹木の香りが流れてくる。道端には菫の花が咲いている。川の流れの音が聞こえてきた。「もうすぐお目当ての滝かな」
山本さんは滝の前でお二人の写真を撮る。「ご主人、奥様の肩をそっと抱いていただけますか」
写真を撮った後、山本さんは携帯電話を使って旅館に今どこにいるか、何をしているか、特に問題はないか、これからの予定につき、報告を入れていた。
滝の見物の後、農家の高橋さんのお宅に伺った。昔ながらの農村の家。若いご夫婦が迎えてくれた。ご主人から土地のこと、農業についてお茶を頂きながら話を聞いた。「ちょっと珍しい野菜を上がってくださいな。葉ワサビなんです。なめ味噌を葉ワサビでくるんで食べると、これがなんとも言えません。お口に合うといいんですが」
鮮やかな野菜の香りが口の中に広がる。「これはここでしか味わえない地元の逸品ですな」「葉ワサビと味噌がよく合っていること」蕎麦茶を高橋さんが出してくださった。
目の前には棚田が広がっていた。あぜ道で縁取りされた幾枚もの棚田。中村様のご主人は子供の頃田舎で育ったと聞いていた。どこか遠くを見るような目で棚田とその回りに拡がる風景を眺めている。ぽつんと「懐かしいな~。ぼくの田舎にも昔は棚田が沢山あったよ。大水の後など崩れた石垣直しが大変だった。」