屋上菜園物語 Ⅱ 第24話 「人生、楽しく生きる」
坂本恭平から風祭伸之に電話があった。久しぶりに会いたいとのことだった。新型コロナウイルス問題があり、室内ではなく外で、しかも気持ち良く話せる場所ということで、「農園で会おう」ということになった。伸之の農園は武蔵野線の高架鉄道の近くにあり、面積はおおよそ400㎡。農園の片隅に簡単な飲食ができるテーブルと椅子が置いてある。周囲も貸出農園で数名の市民が野菜づくりを楽しんでいる。
ある晴れた日の午後2時、伸行は最寄りの駅まで坂本を迎えに行った。駅から畑迄は徒歩で約20分。近況を話し合っているうちに畑についた。
恭平「広々としている。360度見渡せる。気持ちいい。空がこんなに広いなんて忘れていた。」
伸之「たまにはお越しください。(笑い)見事な夕焼けも見られますよ」
伸之は今日の作業の予定を恭平に説明した。
「今日は畝を2本作ってもらえるかな。そこにマルチングシートを張って玉ねぎの苗を植え付ける。堆肥と元肥は2週間以上前に入れてあるから。マルチは2人でやった方が早いから2人でやろう。作業が終わったらサトイモとサツマイモを、試し掘りという感じで収穫しよう。」
「OK,了解」
それから2時間、2人は作業に集中した。
伸之は腐葉土をつくるための枠づくりをした。長さ360cm奥行き90cm高さ90cmの大きなものだ。栽培している畑の面積が増えてきている。隣の区画のTさんは脳梗塞後遺症で以前の面積での栽培は出来なくなった。「半分やってもらえませんか」ということで50㎡程譲り受けた。
伸之は有機的栽培で野菜を育てている。腐葉土は欠かせない。もう1ヶ所を合わせて2ヶ所の畑の面積を合わせると500㎡ぐらいになる。今の堆肥枠を拡張する。追加分は雨戸とかベニヤのパネルをリサイクルという形で使うことにした。切り替えし作業があるので、支柱を打ち込み、板を両側から支えて、必要な時は板を外せるようにしておく。
毎年近くの中央公園から枯葉をもらってくる。昨年は大きなビニールの袋で20袋以上貰ってきた。今年は60袋以上になるかもしれない。車で何度も往復することになる。それが大変だ。
作業に区切りがついたのを見計らって一服することにした。かれこれ2時間経っていた。畑にいるとなぜか時間が早く過ぎる。
伸之がポットから2つの紙コップにコーヒーを注いだ。一口飲んだ後、木製のテーブルに紙コップを置いて、伸之が言う。
伸之「今日は坂本と『人生を楽しく生きる』について話合いたいと思ってるんだ」
恭平「そうか。・・・始めに聞くけど、どうして人生を楽しく生きることについて俺と話合いたいと思ったんだい。」
伸之「俺からみると坂本はいつも穏やかで、笑顔も多いし、人生を楽しんでいる、というように見えるんだ。俺は昔ほどではないけど、落ち込むことも、精神的に不安定になることも結構あって、いまだにそれで悩んでいる。齢をとれば良くなるんじゃないかと期待していたんだけどそうではなかった」
恭平「風祭は真面目なんだよ。俺のことをいつも穏やかで、笑顔も多いと言ってくれたが俺も落ち込んだり、自分の人生には一体どんな意味があるのかと悩んだりすることもあるんだ。最近は人生はなるようになると思っている。楽観的に考えるようにしている。」
伸之「坂本にはそれができるんだ。ちょっとうらやましいな。自分にはそれができない。性格なんだろうな、」
恭平「風祭にもできるよ。そう考えるようにするんだ。最近ウエルビーイング(幸せ)について新聞の記事を読んだり、本を読んだりして、ウエルビーイングがこれからの生き方だと思った。ウエルビーイングの考え方で自分が特に共感を感じたのは<自己肯定感>だったんだ。自分はずっと自己否定感を持ってきた。仕事も振り返ってみると失敗ばかりだった。人間関係も上手に築くことができなかった。」
ベンチとテーブルの横の畝ではサニーレタスが若葉を伸ばしてきている。伸之は視線を上げて大空を流れる雲を見ながら坂本の話を聞いていた。
伸之「最近楽しいと感じたことが無いんだ。言った本人がこんなことを言ったら実も蓋もないけど、「楽しい」というのはどんな感じなんだろう」
恭平「自分が経験したことで、一つだけ言えることがある。それは人生の楽しさはどんなにささやかでも自分が人間として成長する、そのことが確かな実感として自分にも感じられるところにあるんじゃないかな。旅行に行って楽しい経験をしたとか、親しい仲間で集まって宴会をして楽しかったとか、それもいいけど、本当の楽しさは自分が人間として成長することができた、そしてそれが人生の最後迄続く。人間として成長するというのは本当に難しいと思う。成長できたと思ってもいつの間にか、元に戻っている。その繰り返しの中で人は成長していくんじゃないかな。ただ成長にはある種の痛み、反省が欠かせない、それがちょっと厳しいところだ。そしてもう一つは自分の殻から出て、人と繋がる、さらには自然と繋がる。その中で<共に>という意識が生きる楽しみになっていくんじゃないかと最近気がついたんだ。」
そう言ってから坂本は手帳を取りだし、ポケットに入っている紙を取り出し、伸之に見せた。1本の木が手書きで描いてある。木の幹から枝が出ている。
伸之「これは何の絵なの?」
恭平「人生の木、の絵なんだ。自分の人生を振り返ってみる時、今迄は子供の時からの人生を山谷で描いていた。自分の人生には山と言えるような成功、目立ったことはなかったから正確に描くとすると平地と谷、ということになるんだろうけど、生まれてから(左側から線を描くんだけど)どうも折れ線グラフではしっくりこない、という感じがしていたんだ。・・・人生ってやはり積み重ねだと思うし、出来事がつながっていると感じるし、それから多くの人達によっても支えられている。そんなことを紙にいたずら描きをしているうちにできた絵なんだ。描いてみて改めて思ったんだ、成長していく中で、なんと多くの枝が折れていたことか、と。それでも上へ上へと伸びている。時々手帳から取り出してみているんだ。気がついたことがあったら書き加えている」
伸之「分かりやすそうな絵だね。見せてもらっていい?」
恭平「風祭さんには特別にお見せします。オレの人生の木のイメージを参考に風祭も描いてみるといい。A4の紙を縦に使って、左側に自分の年代を10歳刻みで書いていく。10代から70代まで。それから真ん中に1本の木を描き、年齢毎に枝を左右に描いていく。左側は自分の生活の枝、右側は自分の仕事の枝、という感じで。自分は20代の左側に2浪、という枝とその上に大学入学という枝を描いた。右側には就職という枝。就職という枝は40代半ば迄伸びている。・・・そして70代。左側の人生の方はウエルビーイングの枝、まだ細い枝だけど、描いている。右側には自分の人生のライフワークの枝を2本描いている。老人ホームに屋上菜園を普及することと、第二の故郷を地方創生のためにつくること。どこまで枝が伸びるか分からないけど、折れないように伸ばしていきたいと思っている。」
伸之「木の上の70代のところに花が咲いているね、それから実になっているものもある」
恭平「自分の人生の本当の花を咲かせるのはこれからだと思っている。自分は大器でなくて小器だけど晩成できたらうれしいね。人生の楽しみは未来にもある。風祭さん、人生の木は時々眺めてみると自分を、距離を置いて客観的に見ることができる。それを親しい友人と人生について語り合う時、この人生の木の絵があるともっと深く、楽しく、自分の心を開くことができるし、それこそ人生を共に生きることができる。」
2人の傍の畝にはサニーレタス、チンゲンサイ、もう一つの畝にはホウレンソウが若葉を伸ばしている。サニーレタスが2人に声を掛けてきた。
「大事なお話に口を挟むようで申し訳ありませんが、木の枝だけでなく、土の中の根にも目を向けて頂けますか。根がしっかり伸びて土の中の養分を吸収しないと木は大きくなれませんし、枝を伸ばすこともできません。この人生の木の絵の中で土は何を意味しているんでしょうか。私たちは根が土から栄養分と水分を吸収して、茎、葉、芽に送っています。土の上は太陽の光が溢れ、明るいですが、土の下には光がなく、暗闇です。私たち植物は光と闇の2つの世界の間で生きています」
2人は突然の問いかけにびっくりして、サニーレタスを見た。サニーレタスは微風に葉を揺らしている。
坂本はサニーレタスに向かって答えた。
「正確な答えになるかどうか、分からないけど、今答えるとするとそれは自分の人生経験ではないかと思います。体験は時間の中で分解されて経験になっていく。その経験が根が吸収する栄養分になるのではないか。私たち人間にとって根に相当するものは考えだったり、意思だったり、感情かもしれない。・・・これでサニーレタスさんのご質問に答えたことになりますか」
サニーレタス「ありがとうございました。良く分かりました。人も私たちと似ていますね」
坂本「また何かありましたら、遠慮なく聞いてください」
坂本は風祭の方を向いて、付け加えるように言った。
「土の中には自分の人生の意味とか役割をつくる経験が蓄積されている。それは自分の中、内面のことだから他の人には見えないし、分からない」
風祭「そうか。自分の内面のことというと、意識している部分と無意識の部分があると言われているが、それが土の世界なんだ。野菜栽培の場合、土を耕したり、天地替えをしたりするけど、人間の場合、それは瞑想だったり、ジャーナリングだったり、カウンセリングだったりするんだ。」
坂本「話がちょっと難しい方向に行ってしまったけど、元に戻して、人生を楽しむ、ということについてブレストを続けていきたいね。いいかい?」
風祭「人生を楽しむためには、どんなに小さく、ささやかでもいいので、人間として成長したことを実感できること、もう一つは自分の人生の木を客観的に眺めて何かに気付き、発見すること。ここまで来たけど、まだあるんじゃないかな。坂本がさっき言っていた自己肯定感も人生を楽しむことではないかな。自分を否定していたら人生を楽しむどころではないも。」
今度はホウレンソウが声を掛けてきた。
「人間の世界は大変ですね。私たちには自己否定感という気持ちはありません。元気に成長して時期がきたら収穫していただく、そして皆さんの健康のお役に立つ。私たちは私たちの特長を大事にしながら自己肯定感を持って畑で頑張っていますよ。」
坂本「3つ目は自己肯定感が人生に楽しみを与えてくれる。ところが自分のような失敗だらけの人生を送ってきた者にはこの自己肯定感を持つというのが、本当に難しい。今朝も俺って本当にダメな人間だな、生きている価値なんかない、なんて思って落ち込んでいたんだ。こんなことを言えるのは風祭、お前にだけだ。最近はこんな風になった時のルールを自分なりに決めている。時間を決めて悩む。そして区切りをつけて後は引きずらない。3分間ルール。2分間は悩む。自分と同じような問題で悩んでいる人がいる。自分はその辛さも知らなければいけない。しかし、3分経ったらスイッチを自己肯定感に切り替える。これは一種の精神的トレーニングにもなるんだ」
風祭「俺の場合はスイッチの切り替えに10分ぐらいはかかりそうだ。俺の方からいいかな。人生を楽しむための4つ目は感謝する、だ。感謝すること、大きなことも小さなことも。最近自分は日記に感謝したことを必ず毎日一つは見つけて書きつけている。昨日感謝したことは、これから自分が取り組むテーマが見つかったことなんだ。まだ何かは言えないが、これで行こうと決めることができた。感謝が人生を楽しむための4つ目のポイントでいいかな。
坂本「同感!いいよ。第5番目はさっきもちょっと触れたが<共に>ということ。今日風祭の畑に来て、風祭と一緒に作業をし、話し、ブレストをした。共に時間を過ごした。そして俺は風祭と久しぶりに会って元気を貰った。うれしく、楽しい時を過ごさせて貰っている。次回会う時には風祭と俺の人生の木を2本並べて話をしたいね。」
風祭「了解したよ。自分は坂本とこの人生を一緒に生きていると思っている。今もそうだが、これからもこの人生を互いに伴走者として走っていきたい。」
坂本「これからもよろしくお願いします。(笑い)
夕空の太陽が夕陽となって大空の雲をオレンジ色に染め始めた。巣に帰る鳥たちの編隊が空を横切っていく。夕があり、朝がある。
旧約聖書創世記には「神は、その大空を天と名付けられた。こうして夕があり、朝があった。第二日」とある。なぜ朝があり、夕がある、ではないのか。夕が先に来る意味を風祭は考え続けている。そして思ったことは夕は感謝、朝は希望。感謝を持って一日を終えることによって希望の朝を迎えることができるのではないか、と。
坂本はマンションのベランダで植物を育てている。キャスター付きの木枠の箱の中に観葉植物の鉢、ハーブの鉢、多肉植物の鉢、花の鉢、野菜の鉢を置いて、育てている。
そのキャスター付きの木枠を午後2時頃、木枠を室内に移動して仕事をしている書斎のところに持ってくる。午後はやはり疲れが出てくるので、気分転換のための植物がほしい。室内に入れてもコバエなどが飛ばないようにした特別な鉢にしてある。毎日植物に触れていると思わず話かけたくなる。<共に>生きる。本物の、命を持った植物と一緒に生きる。
(第24話 了)