屋上菜園物語 Ⅱ 第23話 「老人ホーム カラオケ会」
今日は2週間に1回のカラオケ会。食堂兼集会室の大きなディスプレイを見ながら皆で歌う。以前元気な時は仲間を誘ってカラオケカフェに通ったものだ。
普通カラオケカフェでは自分の好きな歌を選んで歌い、仲間は自分の歌いたい歌を探しながらそれを聞いているというスタイルだ。そのやり方を老人ホームでやると時間がかかりすぎるし、また待っている人達も時間を持て余すことになる。ということで職員が皆の希望を聞いた上で歌を選んで皆で歌うというやり方をとっている。
夕食前の午後4時半から6時迄、1時間半、皆で歌って過ごす。
今迄はそれぞれ歌詞がプリントしてある本を見ながら歌ってきたが、今月からそれだけではなくナレーションというかイントロの後、皆で歌うというように趣向が変わった。このナレーションは屋上菜園の栽培を担当しているAさんが作ったとのこと。Aさんは既に50曲ほどのイントロを作っている。以前屋上の菜園で一緒に作業をした時、そんな話をしていた。
Aさん「昔、玉置宏さんという司会者が歌の前にイントロを語っていましたよね。
それで歌手もスッと歌に入れたんではないでしょうか。今はそういう司会者 はいませんね。平成、令和の歌はイントロを必要としないのかもしれません」
入居者の皆さんは三々五々集まっていた。皆4時前に席についた。
職員のKさんが皆さんに声をかけた。
「皆さん、それではこれからカラオケ会を始めます。まず 今日歌いたい歌、手を挙げて仰ってください。一応8曲迄としますね」
次々と手が上がった。老人ホームの入居者の皆さんは大体70歳以上だ。ということで選ぶのは昭和の歌だ。
「リンゴの歌」「昭和枯れすすき」「悲しい酒」「チャンチキおけさ」「浪曲子守歌」「涙を抱いた渡り鳥」「恋心」「長崎の鐘」
Kさん「『昭和枯れすすき』はイントロ集にはまだ載っていませんので、Aさんに作ってくださるようお願いしておきます。それでは10月のカラオケ会の始まり、始まり~」
Kさんが前口上を言う。「真珠貝のように自分のこころの中に埋め込まれた小さな玉。人の世で生きていく時、私たちが流す涙、苦しみが小さな玉を少しづつ大きくしていきます。それがわが心の歌・・・。それでは出して頂いた順番で歌います。途中で少し休憩を入れますね。3曲歌った後に。」
Kさんは少し声を変えて、イントロを語り始めた。まず「リンゴの歌」
「ああ あの時の貧しさが 懐かしい 空はぽっかり青空で 砂糖菓子みたいな雲が浮かんでいた 街には進駐軍 パンパンなんて呼ばれてた おねえさんたちは なんだか外国のリンゴみたいだった
おいらはそうさ国産リンゴ あの娘(こ)は可愛い紅玉リンゴ」
皆さんが歌い終わった後、Kさんは少し間を置いて、
「『昭和枯れすすき』はまだイントロがありませんので、イントロなしで歌いますね。私の両親はこの歌が好きでした。かなり暗い歌なので若い時の私にはちょっとしっくりきませんでしたが、中年になった今、なんとなく分かるような気がしてきました。両親の人生も苦労の連続でした。それでは「昭和枯れすすき」を歌います。」
「昭和枯れすすき」を歌いながら、涙を拭っている婦人がいる。
Kさん「次の「悲しい酒」を歌った後で、お茶を飲みながら、短く休憩の時間をとります。よろしいでしょうか」
皆さん「いいです」
Kさんがイントロ。
「今夜は工場の片隅で 寝ずの番です 独りです 日記のペンをふと止めて
テレビを見たら ひばりさん 涙を流して歌ってる 悲しい酒です 私も
一緒に歌います 私の人生杯も悲しい酒で 溢れてる 泣けるうちは泣けば
いい そしたら元気が湧いてくる」
段々調子が出てきたのだろう。入居者の皆さんは元気に大きな声で歌っている。
Kさん「それではこれから5分間お茶を飲みながら近くの人とお話ください。
あるグループの入居者の婦人が言う。「昭和の歌はあの時代の人生を歌っているような気がするの。私は既に主人を亡くしていますが、「昭和枯れすすき」の3番に、この俺を捨てろ、というのがありますが、主人が私にそう言ったことがあります。こんな俺の人生に付き合わせて申し訳ないと思っている。違う男性と一緒になったらお前ももっと幸せになれたはずだ、って。私、その時言いました。もっと早く言ってくれれば良かったのに。もう手遅れです、と。もっと主人に優しくしてあげればと思うこともありましたが、自分の性格なんでしょう、それがなかなかできなくて・・・」
同じグループの男性がそれに応答した。「昭和の男性の人生は仕事中心で仕事で挫折したり、失敗した時、それを支えてくれる場が無かったように思います。
家には仕事を持ちこみたくないので、また家族に余計な心配をかけたくないのでついつい居酒屋に寄って一杯二杯と飲んで帰宅する、ということになります。酔って帰ると奥さんに嫌味を言われる、そんなことの繰り返しだったように思いますね。」
婦人が答える。「でも夫婦なんだから仕事の辛さを話してくれれば、聞きましたよ。黙っていたら分からないでしょ。」
5分経った。Kさんが呼び掛ける。
「それでは続けます」
次は「チャンチキおけさ」です。
「独りでいるのがたまらなく 木賃宿を後にして 思わず駆けた 裏通り
こころに灯ともすよな 屋台のランプに つい惹かれ 腰を下ろした
オレ一人 熱燗一本頼んだら なんだか少しホッとして 気持ちも一緒
に抜けてった 故郷(くに)じゃ いま頃雪だろう
人を泣かせてばかりいて どこで人生間違えた
ある男性の入居者は指でテーブルの端を軽く叩きながら歌っていた。「三波春夫、なつかしいなあ」という声も聞こえてきた。
Kさん「そういえば最近屋台ってみませんね。昔は屋台のおでん屋なんかをよく
見かけましたが、今はどうなんでしょう。ある所にはあるんでしょうが。
それでは次は浪曲子守唄。イントロはこうです。
土方土方というけれど 好きでなったわけじゃない 流れ流れの暮らしから 足を洗おうと思ったが その日暮らしが染みついた
オレには所詮無理だった 今じゃ子連れの作業員
お前が学校(ガッコ)に上がる迄 とうちゃん 一生懸命働くよ
ほらほらそう泣くな
こっちまで泣けてくらあなあ
ある男性の入居者が突然立ち上がった。そして歌っている。最後まで立って歌っていた。
Kさん「次は「涙を抱いた渡り鳥」です。この歌を歌ったらまた休憩しましょう。
辛い育ちを笑顔に隠し 村の小さな演芸場 声を張り上げ歌います
あなたのこころに届くよう 思いを込めて歌います
島から島へ 連絡船の渡り鳥 いつしか生きる悲しみを
乙女ごころに知りました 知りすぎるほどに知りました
あるグループの中での会話。男性の入居者が言う。「どれもいい歌だ。いろいろなことを思い出す。思い出したくないことまで思い出すね。私は瀬戸内海の小さな島の出身なんだが、島の斜面一面ミカンを栽培していた。小学生だったんだが収獲期には朝から夕方迄摘果作業に駆り出された。平地ならともかく斜面での作業は本当に辛かった。その島にも演芸場があり、時々歌手が来て歌っていたな。」
別の男性の入居者が「私は朝起きた時、無性に寂しく、悲しくなることがよくあります。とても生々しい気持ちでどうしようもないんです。そして生きていることに心細さを感じるんです。いつもは我慢しているんですが、今日は思い切ってお話しました。皆さんの中でそういう方はいませんか。私だけなんでしょうか。歌とは関係ない話で申し訳ありません」
同じグループの女性が言った。「私もそういう気持ちになることがあります。最近こう考えるようにしています。齢をとることはいいことだ。なぜなら物事をもっと深く、広く考えることができる。そして物事をもっと深く、広く感じることができる。時に、考えたことを、感じたことを一人で支え切れなくなることがあります。一緒に支えてくれる友が必要です。その意味では何かの深いご縁で私たちはこの老人ホームにいます。友になる人が与えられている、私はそんなふうに考えています。」
Kさんが皆さんに声をかける。
「それでは、今日最後の2曲を歌いましょう。「恋心」「長崎の鐘」です。まず
「恋心」。イントロはこうです。ちょっと長いですよ。シャンソンです。
ミラボー橋の下をセーヌは流れ
私たちの青春も
私たちの恋も
小さな舟のように 流れていった
もう恋なんてしないと誓った筈なのに
恋なんてむなしくはかないものと
知った筈なのに
なぜか今度こそ本当の恋に生きたい
恋に死にたい
セーヌの流れをみつめながら そう思う私は
愚かでしょうか
マビオン通りに枯葉が舞っています
あの人と会った小さなレストランに
灯が点っています
あるグループの男性の入居者が言った。「シャンソンと言えば、私は銀座の銀巴里に行ったことがある。当時シャンソンはモダンジャズもそうだったけど若者の間で流行っていた。大学からの帰り道、渋谷の「シャンソンドパリ」に入り浸っていたね。」
Kさんがちょっと声を張り上げて皆さんに告げた。
「それでは今日最後の歌を歌います。「長崎の鐘」です。
神も仏もあるものか 神に背を向けて去った人も
いつしか 一人二人と 教会に帰ってきました
長崎の鐘よ 鳴れ鳴れ
鳴り響け
悲しみのため 平和のために
入居者の皆さんの声が一段と高くなった。途中から鳴き声が聞こえてきた。
ある入居者の婦人が言った。「私は長崎の出身です。爆心地から離れた防空壕の中に居ましたので被爆は免れることができました。でも私の親戚、友人の多くが亡くなりました。その悲しみを抱えながらずっと生きてきました。」
ある入居者の男性が言った。「私も長崎です。両親を原爆で失い、幼い頃は孤児院に収容され、父母の愛を知らないまま生きてきました。幸いあるクリスチャンのご夫婦が私を引き取ってくださり、高校、大学迄出させてもらいました。高校の教師になり、社会科を教えてきました。そしてある時、アメリカの軍人カメラマンが撮った、背中に亡くなった兄弟を背負って火葬場の前に立っている少年の写真を見ました。カメラマンの話によればその少年は兄弟を背中から降ろして火葬にした後、一度も後を振り返ることなく立ち去っていったとのことでした。私はその写真を自分の部屋の小さな額に入れ、いつも見ています。その少年のその後の人生はどのようだったでしょうか。一生懸命生きていったと私は思っています。ある意味では私はその少年と一緒に今迄の人生を、またこれからの人生を生きていくのだと思います」
その話を聞いた後、誰からともなく、「もう一度『長崎の鐘』を歌おう、と声がかかった。
ディスプレイの音量を少し上げて皆で合唱した。中には指を組んで合掌している人もいる。
職員の一人の高齢者傾聴スペシャリストが最後にこんなことを言った。
「歌はこの世の人々だけのものではないと私は思っています。この世で私たちが歌う時、その歌声は次元を超えてあの世、天国にも届いていると私は信じています。あの世にカラオケ会があるかどうか、分かりませんが、地上と天上で声を合わせて歌っている・・・そんなふうに私は思っています。歌は私たちに確かな希望を与えてくれます。そう信じてこれからも明るく日々を送ってください。それでは最後に皆で声を上げましょう。
「ハッピー カラオケ会」
老人ホームの屋上菜園では入居者が集まってダイコンの間引きをしている。
「間引き菜も美味しいのよ」話合っている声が元気だ。11月にはサツマイモ、ジャガイモを収獲する。入居者の皆さんは特にサツマイモを楽しみにしている。
11月にはサラダ菜の本格的収穫が始まる。果物では9月のブドウに続いてキンカンが収穫できる。
*
屋上の野菜たちが話している。
サツマイモ「この老人ホームの入居者の皆さんは最近以前にも増して明るくなったような気がする。元気な気持ちで屋上菜園に来てくれているね」
キンカン「サツマイモさんもそう思うかい。そうだとうれしいな」
サツマイモ「ぼくたちが屋上で成長していく姿を見て元気になり、そして収穫の喜びを感じて貰えたら、それはぼくたちにとって本望だと思う。屋上菜園はぼくたちにとって決して楽できる環境ではないけど、それだけやりがいがある。そんなふうに思っているんだ」
東京下町の空を夕焼けが真っ赤に染めている。
(第23話 了)