第二の故郷物語 第4話 「両親に幸せ旅行をプレゼント」(その1)
一日目
女将は「地域コミュニケータ」との1時間の入念な打ち合わせを終え、玄関に飾った生け花を整えていた。そこへミニサロンカーが到着。親孝行旅行のお客様だ。早速従業員を促してお迎えする。3日前旅行計画を準備した「第二の故郷」コンシェルジェ山川さんから書類が届き、既に打ち合わせを終えている。
お部屋にご案内する前に応接ルームでご挨拶。お茶だしをした後、「第二の故郷」のサービス内容についてご説明する。特に体調管理システム、リストバンド型活動量計に関心を持ってくださった。地元の病院が、お客様の滞在中に何か体調の変化があれば、すぐ対応する体制ができている。またAEDも備えてありますよと説明すると、「それなら安心ね」と白髪の東条様の奥様が嬉しそうに言われた。そして「おいしいお茶ですこと」。
女将から今回の皆様のお付き添いをご紹介した。旅館の中は従業員が担当し、外は「地域コミュニケータ」が担当しますと簡単にご説明した。
東條様ご夫妻には「地域コミュニケータ」の坂本さんが外のお付き添い。「地域コミュニケータ」は地元の方たちだ。中には看護士、介護士の経験のある人もいる。しかも「第二の故郷」の研修を受けて試験に合格している。心強い。
従業員にお客様をお部屋にご案内させた後、女将は部屋に顔を出し改めてご挨拶。私どもの旅館には俳句で有名な皆川先生も時々来られるんですよ、と女将は四方山話。
着替えていただいてから昼食までの時間、「地域コミュニケータ」が近くの名所までご案内する。予め選んでおいた場所に向かう。ゆっくり散歩という風情で。
ご夫婦が散歩から戻ってきた。昼食はご夫婦の健康状態に合わせてそれぞれ調理してある。量も少なからず、多からずで丁度いい。これなら食べ残すということもない。戦後の食糧難の時期を生き抜いてきた人たち。勿体無いがすぐ口に出る。
塩分控え目だが、季節の香りを添えて、ちょっと嬉しい地元ならではのびっくり食材。
昼食の後、足湯。その後マッサージ券を使っていただき、全身マッサージ。午後3時過ぎ、地元の町に下りてみやげ物屋を歩く。子供達へのお土産を今から探しておこう、と思っているのかもしれない。茶店風の店で一休み。お茶とお菓子を頂く。
夕方、旅館に戻る。「地域コミュニケータ」の坂本さんは東条様ご夫妻に「今日はこれで失礼します。明日は9時に参ります。お薬を飲むのを忘れないでくださいね。」と挨拶して、その後旅館のスタッフに今日の報告と明日の予定の打ち合わせを済ませた後、帰宅していった。急な連絡のために連絡用携帯電話は所持して貰っている。
東条様ご夫妻には温泉に入っていただく。事前に温泉の効能について従業員がご説明する。風呂から上がってこられた。「檜風呂ってやはりいいね。檜の香りと柔らかいお湯。堪能しました」と東条さんのご主人。
さあ夕食。お部屋に料理が運ばれる。一日のハイライト。従業員が料理を持って部屋に入ってくる。
その中にご注文の懐かしい料理がある。「やあ、本当に作ってくれたんだね。これを食べると母を思い出すんだ。ありがとう」東条様のご主人は嬉しそうに箸を伸ばした。奥様からもなつかしい料理、食べてみたい料理のご注文を頂いている。奥様は、「わざわざ作ってくださり、嬉しいわー。ご馳走が沢山でどこから箸をつけたらいいか迷っちゃう」と料理を見ながらちょっとはしゃいでいる。その姿を見ている東条さんのご主人の目がやさしい。
「今日は楽しかった。こんな旅行をプレゼントしてくれた子供達に感謝だね」と東条様のご主人は奥様に顔を向けて、ご満悦だ。
食後は地元の歴史、文化をまとめたビデオを鑑賞して頂いた。
「そうそう、息子達が気にしているだろうから電話をしよう。母さん、携帯でかけてくれないか」
ご主人の後は奥様が息子さんのお嫁さんと話しているようだ。
お布団を敷き、就寝の準備をした。
お客様がぐっすりと睡眠をとられ、明朝元気に目覚められ、楽しい一日が送れますように!
二日目
東条様の奥様は鳥の声で目を覚ました。一瞬ここはどこかしらと思い、「ああ、そうそうお父さんと一緒に旅行に来ているんだわ」とつぶやき、傍らでまだ寝ている夫の顔を見た。
昨晩は嬉しくて3回も温泉に入ったので、ちょっと疲れたのかもしれない。「あんな嬉しそうなお父さんの顔を見たのは久し振り」。
鳥の声に誘われるようにそっと襖を開け、窓の側に寄った。「今日も良い天気。さてお父さんと一緒にどこにいこうかしら」
「昨日昼食券とマッサージ券を頂いたから今日は近くの松葉旅館に行って昼食を頂き、それから夕方はこの旅館に戻ってきて、マッサージもいいわね」東条様の奥様は漠然と今日の予定を考えていた。「昨日の「地域コミュニケータ」の坂本さんにも相談しよう、きっといいところに連れてってくれるわ。気さくでとても感じのいい人だったから」
部屋の中で「ウウーン」と伸びをしているご主人の声が聞こえた。「おはようございます。良く眠れたようね」「ウン、久し振りにぐっすり眠れたよ。さて、早速朝風呂といこう」
「ホントにお風呂が好きね」「折角温泉に来たんだ。ここの温泉は本当に気持ちがいいんだよ」
ご主人が朝風呂から上がってきて、程なく旅館の従業員から電話があった。「おはようございます。朝食は何時ごろお召し上がりになりますか」
食事が部屋に運ばれてきた。予め注文していた朝食メニュー。小豆入り玄米粥、鮭の皮のロール、半熟の卵、白花豆の煮物、黒ゴマ豆腐、磯まきゴボウ、わかめとネギの味噌汁。
「この旅行では好きな料理、懐かしい料理を食べさせてくれるというんで、ちょっと我侭を言わせて貰ったんだ」ご主人は食事を運んできた従業員に「ありがとう。そう、これこれ。美味しそうだ。」
ご主人の話によると小豆入りの玄米粥は出張で行った山形の旅館で食べたもので「もう一度食べてみたいと思っていたんだ。」鮭の皮のロールは北海道の天塩川の営業所にいた時、ふんだんに採れる鮭の皮の美味しさを知ったため。白花豆は北見地方の特産。磯まきゴボウ、わかめとネギの味噌汁はお袋の味で、半熟の卵、黒ゴマ豆腐、納豆は健康のために毎朝食べている、そのように説明してくださった。
「さあ、これで今日も一日元気に過ごせるよ。」「まあまあ、美味しいものを前にした子供みたいね。それでは頂きましょう」ご夫妻とも最初に味噌汁に箸をつけた。「美味しい!」「うまい!」
「ゆっくり朝ご飯が食べられるなんて、嬉しいわ。後片付けもしなくていいし。・・・私たちが結婚した時は、あなたは残業、残業で家に帰ってくるのは食事と寝るためという感じで、朝ご飯も慌しかったわ。もうあれから50年。いろいろあったわね。でも今こうしていられるなんて幸せ。子供達もそれぞれ元気にやっているし・・・。こうやってお父さんと一緒に食事できるの、後何回かしら。300回、1000回・・・」
「50年、しっかり支えてくれた、もうダメだと思ったこともあったが、お父さんなら乗り越えられるわ、と励ましてくれた。お礼を申します。心の底から感謝しています」
「何でこんな話になったのかしら」奥様はそっと目を拭っていた。
食事の片付けと入れ替わりに女将が部屋に朝の挨拶にきた。「おはようございます!
今日も元気でお健やかにお過ごしください。何かありましたらどうぞご遠慮なくお申し付けください」
「地域コミュニケータ」の坂本さんが部屋に入ってきた。「おはようございます。ご気分はいかがですか。体調はどうですか」坂本さんは親身になって尋ねている。坂本さんは30分ほど前に旅館にきて、体調管理システムのデータをチェックしていた。「これなら大丈夫、でも無理しないようにしましょう」と自分に言い聞かせた。
坂本さんは今日のスケジュールを東条様ご夫妻の要望を聞きながら打ち合わせが始まった。地元の観光マップと農家と漁村の訪問先を見ながら楽しそうに話し合っている。
予定としては、前日に決めておけば段取りしやすいのだが、高齢者の場合はその日になってみないと体調が分からないので、当日の体調を見て適宜予定を立てたほうが高齢者にも負担がかからない、ということを坂本さんは経験から学んでいる。
打ち合わせの結果、午前中に観光の名所を一つ見た後で、農家の高橋さんのお宅を訪問することにした。地元でないと食べられないちょっと珍しい野菜があるとのこと。
午後は観光の名所を2つ、車で行って、ゆっくり見て、それから旅館に戻り夕食。風呂に入ってからマッサージ、と決まった。
東条様のご主人は「さあ、腹ごしらえもできたから、今日は歩くぞ」と元気一杯。
奥様は「あなたに付いていきますが、疲れたら手を引いてくださいね」
午前中の観光名所は散歩がてらいける距離だが、午後の名所は歩いていくには遠すぎるので、坂本さんが旅館の車でお二人を案内する。
午前中の観光名所には散歩がてら。お二人は手ぶらだ。「地域コミュニケータ」の坂本さんがお二人の手荷物を運んでいる。お二人は時々立ち止まり、「ちょっと休みたいんですが、いいですか。」「勿論いいですよ」と坂本さん。道端の岩の上にシートを敷いてそこに座っていただく。樹木の香りが流れてくる。道端には菫の花が咲いている。川の流れの音が聞こえてきた。「もうすぐお目当ての滝かな」
坂本さんは滝の前でお二人の写真を撮る。「ご主人、奥様の肩をそっと抱いていただけますか」
写真を撮った後、坂本さんは携帯電話を使って旅館に今どこにいるか、何をしているか、特に問題はないか、これからの予定につき、報告を入れていた。
滝の見物の後、農家の高橋さんのお宅に伺った。昔ながらの農村の家。若いご夫婦が迎えてくれた。ご主人から土地のこと、農業についてお茶を頂きながら話を聞いた。「ちょっと珍しい野菜を上がってくださいな。葉ワサビなんです。なめ味噌を葉ワサビでくるんで食べると、これがなんとも言えません。お口に合うといいんですが」
鮮やかな野菜の香りが口の中に広がる。「これはここでしか味わえない地元の逸品ですな」「葉ワサビと味噌がよく合っていること」蕎麦茶を高橋さんが出してくださった。
目の前には棚田が広がっていた。あぜ道で縁取りされた幾枚もの棚田。東条様のご主人は子供の頃田舎で育ったと聞いていた。どこか遠くを見るような目で棚田とその回りに拡がる風景を眺めている。ぽつんと「懐かしいな~。ぼくの田舎にも昔は棚田が沢山あったよ。大水の後など崩れた石垣直しが大変だった。」
旅館に戻り、昼食。ご夫妻はざる蕎麦とミニ山芋汁を食べられた。
一服してから車で観光名所2箇所を回った。一つは民話の里、もう一つは平家の落人部落。旅館に戻った。少しお疲れになったようだ。「お疲れになったんじゃないですか」と聞く坂本さんに「大丈夫、大丈夫」とご主人が答えている。奥様は「疲れたわ」と言って窓の側のラタンの椅子に身体を預けるようにして座った。「お父さんたら、1人でドンドン歩いていってしまうんですもの。手を引いてください、ってお願いしたのに。坂本さんがいてくださったので助かったわ」
奥様は旅館の庭を見ていた。お茶を頂きながら、ぼんやりと庭木を眺めていると女将さんがしゃがんで何かをとっているのが見えた。近づいてきた女将さんに声をかける。「何とっていたんですか」「あら、ご覧になっていたんですか。茗荷なんですよ。今晩の夕食に添えさせていただこうと思いまして」「お財布なんか忘れていきませんよ~」「それより宿賃のお支払いを忘れないでくださいね」女将と東条様の奥様が声をたてて笑っている。「茗荷が可憐な黄色い花をつけるんですよ、私とても好きなんです」
(その2に続く)