第3話 眠れない夜
8月、お盆休みの時期、会社をこれからどうするか、必死になって考えていた。
新年度も1/4半期を過ぎ、業績が激しく落ち込んでいた。売上高で計画比70%、粗利益では50%という予想もしていない業績悪化だった。その前の年度、3年連続営業利益の赤字は食い止めようと、役員報酬カット、賃金カット、経費のカット、それに社外分社の経費肩代わりなどを無理は承知で実施。その結果なんとか100万円を超す営業利益をひねり出すことができた。
黒字化を弾みにして業績改善と意気込んでいたのだが、蓋を開けるとそうはいかなかった。営業部門からは「厳しい環境で多くは望めない」という報告が相次いだ。そんな訳で、お盆休みの間に会社の今後を決めなければ、なんとかしなければ、ということで考え込み、眠れない日々となった。
八畳間の真ん中に机を置き、模造紙の上にカードを並べ、自分一人でKJ法で問題点、今後の可能性を検討した。うちわであおぎながら、ため息もつきながら今後の進路を絞り込んでいった。まず第一は現状維持。これはまず無理だ。第二は思い切ったリストラ。赤字部門の本社の土木建材部、大阪支店の閉鎖。仙台支店、千葉支店の存続。4部門から2部門に縮小する。本社は不動産収入の兼業部門だけとする。信用不安が出てくることは避けられない。「ミヨシは大丈夫か?危ないのでは?」
リストラする部門の人員をどうするか、本社の土木建材部を閉めた場合は「土木のミヨシ」という看板を下ろさざるを得なくなる。
第三は不動産管理会社に変える。営業部門はすべて閉鎖する。大幅な人員整理をして、兼業(不動産)収入だけで食べていく。
会社を解散するということはこの時点では考えていなかった。どんな形になってもいいから存続させたいと思っていた。倒産の恐怖がこころの底で広がり始めていた。
日経ベンチャー1998年6月号の倒産特集「勇気ある倒産」の記事を繰り返し読んだ。その中で倒産社長の言葉。「もっと早く倒産する勇気があったらこんなに苦しまずに再建に取り組めたのに」の文字をじっと見つめている自分がいた。自分はまだ経験していないが倒産への恐れがこころに重くのしかかってきた。経営者会報の倒産特集を読んでいたら、倒産者の世話をしている八起会の野口会長の記事が載っていた。藁にすがる気持ちというのだろうか、もう少し詳しく知りたくて、駅の近くの本屋に行って野口会長の本を探したところ1冊あった。「こうして会社は潰れていく」。
買い求めて、家に帰り一挙に読んだ。8月16日のことだった。その時、どういうわけか野口会長にお会いして当社の状況を聞いて頂き、何かアドバイスを受けられればと思い、早速電話をかけた。意外にも野口会長ご本人が電話口に出てこられ、8月18日午前だったら空いているとのことでアポを取らせて頂いた。嬉しかった。後になってみると八起会の野口会長、K公認会計士とお会いできたことがどんなに大きなことだったか。もし、お会いしていなかったら、解散の決断があのタイミングでできたかどうか。独りで悶々としていたら、決断はもっと遅れたにちがいない。またなし崩し的な決断になっていたのではないか、と思う。今考えてみるとゾッとする。それ以前に帝国ニュースにM弁護士が倒産についての講演録を連載で掲載していたので、一度M弁護士に会って実情を説明し、法的アドバイスを頂きたいと考えた。丁度事務所が当社から歩いて5分ぐらいであることも確かめ、電話したところ、女性が電話口に出てきて「弁護士は現在案件を抱えていて忙しくて時間がとれない」との返事だった。「どなたか先生の関係で、倒産に強い弁護士を紹介していただけないでしょうか」と諦めきれずにお願いしたが、女性の答は「そういうことはしていません」。
とりつく島がなかった。
とにかく相談相手が欲しかった。社内で相談できることではなかった。会社の運命を決する決断をする時期はそんなに先の話ではないことは直観的には分かっていた。苦境を切り抜けた社長達の体験談をすがりつくような思いで読んだ。
と同時に会社が破局した時の状況が様々なイメージとなって目の前に浮かぶようになった。何しろ8月に入ってからというもの、熟睡できた日はほとんどなく、慢性的な睡眠不足が続いていた。眠れずに朝を迎えた日も多くあった。正常な判断ができなくなるのでは、そんな心配も追い打ちをかけた。債権者集会で怒号を浴びている自分の姿、家族でどこかの小さなアパートに転がり込んでいく様子、借金を返済するために、なりふり構わず、馬車馬のように働いている自分の惨めな姿。ああ、これで自分の人生は終わってしまうんだ。何のための人生だったんだ。会社経営では苦しいことばかりだったな・・・。睡眠不足が精神的な不安定を生み出していた。暗い顔をしていたことだろう。そんなイメージを振り払うように自分にカツを入れた。
「中小企業といえども仮にも社長なんだから、どんなに辛くても、最善の決断をしよう。そのためには自分は勘定に入れないことにする。先代の社長は、支払いは絶対に延さないを会社の憲法にしていた。判断の基準は取引先、銀行に金銭的な迷惑はかけない、だ。これが社長としてこれから取りうる最低限の責任だろう。しかし、できることなら、会社をどんな形であれ存続させたい。旧役員、また現在の役員の意見も聞いた上で最終的な決断をしよう。」
(第3話 了)