話し方と聞き方

話し方と聞き方は対をなしていると最近気付かされた。上手な話し手は良い聞き手であり、良い聞き手は上手な話し手になることができる。ところで話し方の教室はあるが、聞き方の教室というには寡聞にしてきいたことがない。最近「傾聴」の大切さが言われている。現代のような忙しい時代、私達は短い時間で自分の思っていること、考えていることを的確に相手に伝えることを求められている。そのための話し方のトレーニング、プレゼンの仕方を学んだりする。NHKEテレのテッドプレゼンテーションのプレゼンテーターの話しぶりにはいつも感心させられる。テレビに出演する前に、何度も練習しているのだろう。

以前アップルのジョブスのプレゼンの本を読んだことがある。ジョブズ流プレゼンの極意を書いた本だった。一方聞き方の本はまだ少ないようだ。話す方は能動的で、聞く(聴く)方は受動的だからだろうか。それで思い出すことがある。私の母がある病院に入院した時、院長の巡回の際、私の母は自分がずっと心の奥底にしまってきた思いをその院長先生に話した、ということがあった。今まで誰にも話さなかった心の中の問題だった。それを院長先生は優しく受け止めてくださった、と後で聞いた。この方なら自分の思いを受けとめ、理解してくださると母は思ったのだろう。

 

まず読書、そして瞑想、それから仕事

仕事が立て込んでくるとすぐにパソコンを開けて、キーボードを叩くようになる。今朝、このやり方でいいのか、いいはずはないと思わされた。若い時、働盛りの時はそれでもいいのかもしれないが、日々のエネルギーが限られてきたシニアにとって大事なことは自分の一生の仕上げの時期に入っているのだから、仕事を価値のあるものにしていかなければならない。雑な、未熟な仕事をしてはいけないと思う。そのためには今の自分自身を客観的に日々見つめなおすことが欠かせない。気をつけないと前のめりになってしまう。また独りよがりにもなる。さらに大事なことは自分の仕事に魂をこめる、ということだ。

頭で考えたことを心で捉えなおして、さらにそこに魂を入れる。そのためには自分の仕事のために祈り、思いめぐらす時を持つことが必要だ。全体が見えてくる、原理原則が見えてくる、本質が見えてくる、心が見えてくる・・・そのような何ものにも換えがたい時間を持たなければならないと思う。

そのためにも起床した後はまず読書、瞑想、それから今日の仕事の予定づくり、本当にしなければならない仕事の絞込み、優先順位付け、をルーティン化していこうと思う。そして仕事は午前中でできるだけ終らせ、午後は自由時間としていきたい。すぐにはできないかもしれないが、努力していきたい。もうあくせく働く時期ではないのだから。

 

李登輝氏の金言

風邪を引いた。毎日万歩計を持って歩いているが、三日前、近くのホームセンターに行くために歩いた時かなり早足で歩いたせいか、思いがけず汗をかいた。その晩から鼻水が出て、また咳も出始めた。私の場合、典型的な風邪の症状だ。

そこで風邪はたっぷり睡眠をとって治す、と言われていることもあり、早めに床に入り、七時過ぎ迄、二日間たっぷり寝たが、症状には改善の兆しが見えない。こじらせてはいけないと思い、近くのかかりつけの内科医院に行った。午前10時半ということもあって、待合室は満員だった。やっと席を確保して、医院に置いてある雑誌「致知」の11月号を手にとった。結局呼び出しの声がかかるまで、約一時間読み耽った。特に印象に残ったのは台湾の元総統李登輝氏と下村前文科大臣との対談だった。読みながら思ったことは台湾は李登輝総統の時、やっと国家としてのアイデンティティを確立したのではないかということだった。そして心に残った言葉は「リーダーはビジョンを明確に示さなければなりませんが、ビジョンに対してコンセンサスを得ることを忘れてはならないということを私は強調しておきたい」。コンセンサスを得る努力をしていく中で、ビジョンの妥当性も検証され、また深められていくのではないか。

私自身も、丁度良いタイミングでこの言葉に出合った。

 

野菜、果実の機能性表示は価値提案

ミカンと言えば静岡県の三ケ日産が有名だ。JAみっかびは10月5日から「骨の健康に役立つ」と銘打って温州ミカン約80トンを東京・大田市場に初出荷した。機能性を前面に打ち出した結果、前年より2割高い値で競り落とされた由。

「骨の健康に役立つ」のは温州ミカンに含まれているβ‐クリプトキサンチンだ。機能性表示をきっかけに関東からの引き合いが強くなったとのことで、手ごたえを感じている。

三ケ日ミカンの機能性表示は他の果物、野菜にとっても大きなヒントになる。今後私が関係している作物でも是非機能性表示を実現していきたいと考えている。これからの時代、TPPのこともあり、国産の野菜、果物は価値の差別化を計り、機能性を求める消費者のウオンツに応えていかなければならない。

さて消費者庁の公開資料によれば、「『機能性表示食品』は事業者の責任で、科学的根拠を基に商品パッケージに機能性を表示するものとして、消費者庁に届けられた食品です」とある。三ケ日ミカンの場合は届け出て約1ヶ月で受理されている。今回の機能性表示が日本人の野菜摂取量の増加につながることを期待したい。野菜には多くの機能性成分が含まれている。野菜を食べて病気も予防しよう!

 

今日の気付き

今朝セミナーに参加するために急いで駅に向って歩いていた時、フッと頭に浮かんだのは

「民主主義の隠し味」と言う言葉だった。

最近思うことはチームを運営する難しさである。同じ方向を見ている仲間の中でも考え方の違いというものは当然ある。経営の用語で言えば、戦略的に一致していても、戦術的な不一致は発生する。また年齢層によってもさまざまだ。特に年配になると頑固な性格が強く出てくる人もいる。自分の意見、考えが通らないと横を向いてしまう。

随分前のことだが、有楽町の銀座教会の正午礼拝に出ていた時、N牧師が信徒の中で熱心にいろいろ提案してくれる人がいたが、どうしてもその信徒の提案を受け入れることができなかった。その結果、その信徒は教会を離れてしまった・・・、と。N牧師にとっては辛い思い出だったのではないか。

私もシニアの一人だが、どんなに自分の考えに自信があっても、その考えが自分という人間の限界によって狭められている、ということをいつも意識していたい。さらに、他の人とのコミュニケーションを通じてもっと良い、ベストな考えに到達したいという思いを持ち続けたい。

さて隠し味である。意見、考えが異なっていても、相手の考えから気付かされたこと、教えられたことを、自分の言葉で、気持ちをこめて「それとなく」伝えていくことが大事ではないかと思う。チームの中で物事を決定する場合でも、異なった意見、反対意見があればこそ、決定にあたって幅と深さを実現することができたことを、「具体的に、それとなく」相手に伝えていくことを心がけたい。

特に男性シニアは次の格言に目を留めたい。「男は切れ味、持ち味、隠し味」

 

ビジネスの極相と生態系

自然界では、単一の植物で繁殖することはほとんどない。何種類かの植物が群落を形成している。植生は、その土地の土壌と気候条件に適応した姿へと次々の遷移して、最終的には「極相」といって、それ以上遷移しない安定した植生になると言われている。注目すべきは極相では安定した生態系が出来上がっているので、病虫害の発生が問題にならない。極相の例としてフナと熊笹の群落があげられる。

さて自然界のこの極相という考え方をビジネスの世界にも適用できないだろうか。これからの時代のビジネスは「競争」を中心的概念にするよりも「共創」「共生」を中心的概念にする世界に遷移していくのではないだろうか。そして元請と下請けという上下関係ではなく、相互依存的な協力関係、すなわち生態系に変っていくのではないか。安易なアナロジー論を展開するつもりはないが、植物の生き方から、生存戦略から何かを学ぶことはできるはずだ。植物は10何億年の歴史を持っていることに改めて目を向けていきたい。

 

蕎麦を打って、茹でて食べる

今日は家内が蕎麦粉から蕎麦を作った。蕎麦粉はネットで栃木県の業者に注文したものだ。

二八蕎麦を切り、茹でた。大皿に茹で上がった蕎麦を載せて食卓へ。ネギとワサビで食べる。蕎麦の香り、蕎麦の味。何とも贅沢だ。「本当に美味しい蕎麦なら天ぷらなど他のものはいらないね」「そうだね」2人とも黙々と食べる。すぐになくなった大皿に家内が茹で上げた残りの蕎麦を載せてくる。それもすぐになくなった。アッという間だったが、お腹も一杯になった。打ちたて、茹でたてで蕎麦の醍醐味を味わう。蕎麦好きの私にとっては何とも嬉しい。食後の友人宅で稔った柿を頂く。完熟で、ゴマが沢山入っていてちょっと特別な感じの柿だ。蕎麦といい、柿といい、自然の恵みをダイレクトの味わうことができた。

今回は栃木県の業者には蕎麦粥用のマル抜きの蕎麦の実も注文し、2袋届いたので、これから蕎麦粥も楽しむことができる。工場で食品加工をする場合、防腐剤、着色料などが入り、また調味料も使われる。素材の味を一番美味しい状態で味わうには、家庭でそのまま食べるに限る。私の本棚の「わが家の農産加工」という本がある。昭和45年に農文協から発行された。身近で手に入るものを使ってこの本を参考にしながら加工してみたい。

家内は蕎麦づくりだが、私は豆腐づくりにチャレンジしてみよう。

 

前田利家は人望の人

鉢形城跡を訪ねて、この城が豊臣秀吉の小田原攻めの時、加賀の前田利家、越後の上杉景勝らの北国軍に包囲され、一月あまりの籠城戦の結果、城主北条氏邦は助命を条件に開城したことを知った。落城後、氏邦は前田利家に預けられて金沢に赴き、囚われの身ながら厚遇されたと、パンフレットに書かれていた。切腹を免れた事情は分からないが、何か秀吉に思いとどまらせる理由があったのだろう。前田利家と言えば、秀吉のバテレン追放令に伴い、キリスト教を棄教することを秀吉から迫られた高山右近のことを想起する。右近も同じく利家に秀吉によって預けられた。右近は秀吉の棄教の命令を拒否。明石6万石を取り上げられ、大名としての所領を失った。秀吉は右近を加賀に流して、前田利家に預け、扶持として米26俵を与えた。前田利家はそのような右近を厚遇し、六千石を与える迄加増した。小田原城攻めの際、右近は出陣に及ばずとかねてから言われていたが、前田勢の武蔵川越城、松山城、鉢形城、八王子城攻めに加わって、懸命に働いた。戦後加増されて二万石の大身になった。今日訪ねた鉢形城に高山右近が来ていたと思うと感慨一入だった。

豊臣五大老の一人である前田利家は包容力のある、温かい心を持った人物だったのだろう。

また秀吉に睨まれることを恐れずに右近、氏邦を厚遇した。小田原攻めに勝利し、次は朝鮮出兵をもくろむ秀吉の絶頂期で、秀吉の権力の前には誰もがひれ伏した時代だった。

今晩長部日出雄氏の「まだ見ぬ故郷㊦」を再読しながら、氏邦のこと、高山右近のこと、

そして前田利家のことに思いを馳せた。

 

顧客を決めて顧客の視点に立つ

ビジネスモデルのデザインをする場合、まず最初に行なう作業はその商品を買う可能性の最も高い顧客を特定することだが、それは商品の価値提案を常に意識して行なわれる。と同時に価値提案は「時流」によって大きく影響を受けるので、時流認識が必要になってくる。ところで時流の認識はどのように行なうのか。流行と時流は重なる部分もあるが、時流の場合は波頭的に表面に現れている流れだけでなく底流がある。時流を正確に認識するためにはいろいろな出来事を「編集する」ことが大事だ。時流、顧客、価値提案の三角形の中で顧客像、価値提案を絞り込んでいく。この場合ポイントになるのは顧客と価値の必然的関係を明確にすることである。なぜ顧客はこの商品を選ばなければならないかを、納得できるまで突き詰める。それが顧客の視点に立つ、ということだ。それは殆ど「インサイト(洞察)」だと言ってもいい。この三角形が出来上がれば、後は主要活動、パートナー、顧客との関係、チャネル、リソースなどの検討になる。最後に一番重要な利益だが、この場合利益とは価値提供に見返りであり、価値提供の利益への変換の効率性によって高くもなるし、低くもなる。利益の発生点を見極め、利益モデルをしっかり確立することが重要だ。価値を利益に最大限転換する。ビジネスモデルのまさに「肝」になるところである。

 

無駄にしない・全てを使い切る

何でもそうだが、無駄にしないということは大切なことだ。昔子供の頃、スイカを食べた後、母が残った皮をきれいに剥いて、ぬかみそに漬けていた。よく漬かるとウリの奈良漬になっておいしいおかずになった。

最近テレビで北海道の夕張の近くの町で、メロン栽培をしている農家が一工夫して皮の緑のところをスイーツの原料として活用している事例を紹介していたとのことだ。私が直接その番組を見たわけではなく、家内からのまた聞きなので、詳しいことは分からないが、この商品開発には「無駄にしない」という発想があったのではないか。女性のバイヤーのアドバイスがあったとのことだ。

この発想はメロンに限らず野菜全般にも言えることではないだろうか。今まで捨てていたものを付加価値をつけて商品化できればいい。そこまでいっぺんに行かなくてもまずは家庭で利用できるといい。確か以前カリフラワーかブロッコリーの茎や葉を「入浴剤」として活用している例を雑誌で読んだことがある。

カリフラワーもブロッコリーも食べるところは花蕾のところだけだが、葉も繁り、茎も太い。葉や茎も利用できれば無駄にしなくてすむ。他の野菜についても、同じような発想をしてみたい。

また子供の頃の話になるが、母がダイコンの葉も使って油揚げと一緒に炒りつけおかずをつくっていた。ちょっと辛くて好きなおかずだった。