「自然のレジリエンス・シンポジウム」に参加して

今日は午後3時から「グリーンレジリエンスシンポジウム」(生態系保全×国土強靭化 次世代の自然資本活用の時代へ)に出席した。会場は三井住友海上保険株式会社の大会議室。

基調講演、特別講演の後、パネルディスカッションと続いた。主催は一般社団法人レジリエンスジャパン推進協議会。

今回のシンポジウムの趣旨は「我が国では自然資本を活用して防災・減災や地域創生に役立たせるという考え方が、ほとんど浸透していません。そこで当協議会では、自然が発揮する多面的な機能のポテンシャルを再発見・再認識し、それらを活用した防災・減災や地域創生に資するビジネスモデルを創発するため、「グリーンレジリエンス」のシンポジウムを開催し、様々な視点からの議論を致します」と書かれている。

講演の内容もパネルディスカッションの内容もそれぞれ充実していたように思う。印象に残った言葉がいくつかあったが、その中で2つほど上げてみたい。

1.ユニバーサルデザイン総合研究所所長の赤池氏は日本人の先祖の知恵から日本の国土に合ったレジリエンスの仕組みの可能性について触れていた。またこれからの時代は自然のメカニズムを社会に取り入れ、自然に回帰させていく社会になるとして「自然化社会」というコンセプトを提唱している。

2.パネルディスカッションでは三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の図司氏が自然を資本として捉えるべきであり、大事にしなければ減少してしまうと指摘されていた。

現在私が取り組んでいる屋上菜園の活動もどこかで「グリーンレジリエンス」につながっていくかもしれない。そのためのビジネスモデルをデザインしていきたい。そのことも意識してこの大会議場の屋上にある屋上菜園で来年4月からの利用者への栽培指導に取り組んでいきたいと思わされた。

 

ランチタイム

今日は竹橋のちよだプラットフォームでデスクワーク。過疎地対策向けのビジネスモデルデザインの仕上げ作業をした。こういう場合は自宅で一人でやるよりも周りに人がいるオープンネストでやった方が捗るような気がする。1階のカフェで珈琲を飲んでから午後1時迄約2時間集中的に取り組み、予定通り仕上げた。このビジネスモデルデザインを持って12月2日島根県のK市に出張することになっている。午後1時過ぎ、プラットフォームのオフィスを出て、昼食に向う。頑張った日はそんな自分に対するささやかなご褒美としてトンカツの「かつ進」に行き、カツ重を食べる。ここのカツ重は美味い。キャベツのサラダが何度もお代わりできるというのもいい。

食べた後、腹ごなしに大手町方面に向かって歩いた。鎌倉橋のところで橋を渡り、川沿いの緑地路を歩く。最近できた遊歩道だ。左側の建築中のビルを見上げながらぶらぶらし、神田橋に出る。本郷通りを渡ってみると桜が咲いている。寒桜の種類のようだ。黄色く色づいてきたすぐ傍のイチョウの木と薄桃色の花をつけている桜。あまり見ることのない取り合わせだ。

鎌倉橋と神田橋。このあたりは江戸時代木材などの荷揚げの場所として賑やかなところだったようだ。また甘酒で有名な豊島屋もこのあたりにあった。神田は歴史的にもディープな町だ。あちらこちらに江戸時代の地図が掲示板となっている。神田は江戸城の膝元として武士の住居が多くあったようだ。現代版武士のビジネスパーソンが行き交う様子を見ていると、ここはそういう町なのかもしれない、という思いが頭を過ぎる。

散歩を終えてプラットフォームに戻り、デスクで暫く仮眠した。さあ、もう一頑張りしよう。

 

翻訳の問題

翻訳の難しさについてある翻訳者が3,4日前に日本経済新聞の朝刊にエッセイを載せていたが、確かに翻訳という作業は大変だろうと想像がつく。若い頃、私も人並みにマルクス、エンゲルス、さらにはヘーゲルとかサルトルの哲学書を読み齧ったが、翻訳された硬い言葉がなかなか頭に入らなくて閉口した記憶がある。特にサルトルの「弁証法的理性批判」を読んだ時は用語の意味が分らなくて早々にギブアップした。「こういう本がスラスラ読める人はよっぽど頭がいいんだろうな」とコンプレックスさえ感じた。

さて哲学書でなく聖書の翻訳について、画期的な労作が2011年に出た。山浦玄嗣氏の「ガリラヤのイエシュー」だ。この本についてはご存知の方もいると思うので、ここでは1つの言葉だけに触れたい。あの有名な山上の説教の冒頭の言葉、マタイの福音書の「心の貧しい者は幸いです」を山浦さんは以下のように訳した。

「頼りなく、望みなく、心細い人は幸せだ」

マタイは文字通り経済的に「貧しい人々」だけではなく、金持ちで豊かな生活としている人でも、心の中に空しさを抱えている人がいる、という意味合いを加えて、貧しさに普遍的意味を持たせているように思われる。つまり物質的だけでなく精神的にも貧しい人がいると。

山浦さんの訳はそのあたりも滲ませているようだ。

今回小冊子「本のひろば」一般財団法人キリスト教文書センター発行の書評を読んでいて山口里子氏の「イエスの譬え話1」に目が留まった。山口氏は、イエスの譬え話に出てくる「主人」「農園主」「父」などを伝統的にキリスト教界が「神」と解釈してきたことに異論を唱えている。このあたりは翻訳というよりも解釈かもしれないが、「主人=神」としない解釈もありそうだ。

翻訳、解釈の違いでその後の展開が大きく変っていく。やはり翻訳は難しい。

 

高尾山登山

今日は朝から晴天で温かい。ということで予定通り、家内と2人で紅葉を見るため高尾山に行くことにした。高尾山に登るのは初めてだった。新宿から京王線の特急に乗り、北野で乗り換え、高尾山口駅で降りた。びっくりしたのは人が多いことだった。駅前の大看板を見上げて、高尾山頂上迄のルートを確認して、一番登りやすい一号路を選び、登り始めた。集団で登山しているような感じで、とにかく人が多い。子供連れの若い夫婦もいる。途中迄セメントで舗装している道だったので歩きやすかったが、ジグザグの山道に入った頃から勾配がきつくなってきた。登る前は楽に登れる山ではないかと思っていたが、あてが外れた。気合を入れなおして登り続け、ところによっては急な木の階段を登ったりして、薬王院のところまで行きついたが、売店などが出ていて人混みでごった返している。休憩を取る場所もないので薬王院の階段を登り、奥の院を抜けて高尾山の頂上を目指す。ところが頂上についてみてびっくりしたのは、座る場所もないほど頂上も人で溢れている。雪で化粧をしている富士山が見えたので写真を数枚撮って、早速下山することにして、頂上の下山路のコースを見て90分の稲荷山コースを選んで降りることにしたが、こちらは下山路に木に根が胚っていたり、急勾配の岩場があったり、勾配のある木の階段があったりで、かなりきつかった。それでも子供連れの家族が登ってくる。途中で疲れて泣き出す子もいた。

やっと下山して、遅い昼食を取ろうとしたが蕎麦屋さんの前には長い行列ができていて、最後に並んだ蕎麦屋では40分待ちと言う案内が出た。そんなに待つなら、ということで駅の建物に入っている売店でのり巻と稲荷寿司を買って、近くを流れる川の傍のベンチに座って軽いランチ。どこに行ってもすごい人混みだった。自然を楽しむというハイキング気分はあまり味わえなかったというのが率直な感想だ。そしてやはり山は山だ。安易な考えで登ると思い知らされる。それにしてもまだ紅葉の時期には早かった。どこか埼玉の近場の山で紅葉を見にいきたい。

 

キリスト教の自然観

最近キリスト教の自然観がどのようになっているか、考えている。キリスト教と言えば「救済論」が中心になる。そして自然とは神によって創造された被造物であり、人間は自然の、そこに生きる動植物も含め、管理者という立場に神によって置かれている。正確に言えば神から管理を委託されている受託者だ。しかし人間には自然は対象物として完全には理解できない。旧約聖書のヨブ記で神はヨブにそれを思い知らされる。

それはそれとして、現在の時代の最大の問題は無限と思われた自然が有限であり、人間の経済活動、人口増加などのよって自然が大きな影響を受けていることが、現実的課題として人類に突きつけられたものの、どのようにしてその問題を解決したら良いか、分らずに試行錯誤している、というところにある。従来の哲学、科学、経済活動は、世界の有限性、自然の有限性と自然界と人間界の相互制約的関係に殆ど関心を払ってこなかったと言わなければならないだろう。環境保全意識、生態学的意識が強くなってきた背景には有限性と限界性の認識がある。これは恐らく人類が経験している大きな意識転換ではないか。

今日銀座に出たついでに教文館に寄って、キリスト教の立場で自然のついて論じた本がないかどうか、店員に聞いたが、現在は残念ながら該当するものはないとのことで、最近

ローマ法王が自然について述べたメッセージがあるが、まだ日本語には翻訳されていないとのことで、ドイツ語版の本を見せられた。カトリック側では動きが出てきているようだが、プロテスタント側ではまだその気配もないようだ。

アッシジの聖フランチェスコは太陽を賛歌するような詩を書いたらしい。そういえば、以前「ブラザーサン、シスタームーン」という映画が上映されたことがある。また鳥に向って説教をしたことでも有名だ。

私の個人的な思いだが、キリスト教と自然観というテーマについては誰か日本人の牧師か学者に取り組んでほしいと思う。なぜなら日本人の自然観は優れて宗教的であり、共生的であるからだ。

 

ビジネスモデルキャンバスに「時流」のサブ・ブロック追加

今回ビジネスモデルをデザインする時に使っている「ビジネスモデルキャンバス」の9つのブロックの中の、価値提案のブロックの「サブ・ブロック」として「時流・編集‐関連付け」を追加することにした。ブロックに記載すべきことを考え、整理した形でまとめていくが、価値提案の判断が難しいといつも感じていた。商品の特徴とか機能ということではなく、価値の内容を見極めるのはそう簡単ではない。その結果として抽象的な内容になりがちだが、それではビジネスモデルの正確なデザインができない。最近はビジネスモデルのデザインをする機会が増えてきている。ビジネスモデルはデザイナーだけで出来るわけではない。例えばある会社の新商品のビジネスモデルを検討する場合、その会社の社長とか責任者と一緒に作業をすることになる。その場合「この商品の想定する顧客にとっての価値は何だと思いますか」と質問したとしよう。すぐ答えられる場合もあるだろうが、多くの場合は考え込んでしまうのではないか。

そこで「時流・編集‐関連付け」ブロックを登場させ、その商品を時流の中に置いてみる。

その場合その商品と時流を関連づけることが大事だ。具体的に時流を編集することができれば、その商品の時流的価値が明確になってくる。

なお「編集」とは一定の志向性をもって情報を収集,整理, 構成し,一定の形態にまとめあげる過程と言われている。ここで大事なことは志向性と一定の形態にまとめあげることで、まとめ方がモノを言う。

顧客の嗜好も時流の影響を大きく受ける。価値提案も顧客も時流の流れの中にあると言っても過言ではないだろう。時流‐価値提案-その価値を最大限に評価する可能性のある顧客、この3つが見えてくれば、ビジネスモデルつくりの見通しがついてくる。

 

ピンチとチャンス

豊臣秀吉の中国大返しは有名な話だが、黒田官兵衛が秀吉に囁いたと言われる「あなたさまに、ご運が向いてまいられましたな」という言葉も有名だ。NHKの日曜日夜の歴史ドラマでもこの会話が取り上げられていた。官兵衛が秀吉に説いたのは「これは危機ではなくて、天下をとるための千載一遇の好機と考えて行動すべき」であり、そのためには「草履片々、木履片々」だった。(「武士の一言」火坂雅志)つまり片足に草履、片足に下駄という不完全な状態でも走り出さなければならない時がある。官兵衛は秀吉の心にいわばダイナマイトをしかけ、爆発させた。秀吉はこれで発想の完全転換ができた。ここが官兵衛の凄みであり、後年秀吉が官兵衛を警戒するようになった遠因ともなった。

そこからとるものもとりあえず秀吉は清水宗治と講和して、中国から京都への大返しを敢行した。その後のことは周知のことなので割愛するが、チャンスをつかむために2つのことに留意したい。

1.チャンスは最初ピンチの姿に見えることが多い。発想の完全転換をするためには、心の中でダイナマイトを爆発させ、マイナスの感情を吹き飛ばすことが大事だ。中途半端ではいけない。

2.そしてピンチをチャンスに変えるためには何よりも行動すること、走り出すことだ。そのためには勇気がいる。恰好を気にせず前に向って進むことが大事だ。

走りながら考える。考えながら走る。

 

恐らく多くの成功した企業家は1と2を経験しているのではないだろうか。

 

幸福な社会とは

幸福な社会とはどんな社会だろうか。今日の夜、スウェーデン社会研究所の関係者の方と雑談する機会があり、考えさせられた。スウェーデンという国は会社は救済せず新陳代謝に任せる政策をとっているが、会社で働く労働者は徹底的に救済する。会社がつぶれたら社員は生活費をサポートして貰いながら、職業訓練を受け、新しい職場、新しい会社で働く。従い失業という事態は大方の場合、避けることができる。当然そのために税金は高くなっているが、国民はそれを受け入れている。いわゆる働くことの出来る権利、労働権は守られているということだろう。断片的な情報から判断することになるが、スウェーデンの人々は自分に合った仕事に励み、生活そのものを楽しむという傾向を持っているのではないだろうか。アメリカの富裕階級のような拝金主義の国民は少数者ではないだろうか。

また幸福な社会の特徴としては貧富の格差が少ない、ということも重要な要素ではないか。

これは恐らく分配の問題になっていくだろう。厚生経済学という分野は適正な分配を扱っている学問分野と聞いたことがある。

労働権と分配を確保しつつ、最終的には物質的基準ではなく、文化的・精神的基準で社会の幸福が測定されるのではないだろうか。

幸福な社会を目指しているスウェーデンを一つのロールモデルにして、日本がどのようにして幸福な社会を創り上げていくか、考えなければと思わされた晩だった。

 

組織のサイズ

組織にはそれに合った大きさ、というものがあるのではないか、とある団体の総会に出席して思わされた。多くの人々が参加するようになると、目的ないしは方向性が同じであったとしても当然多様性が生まれてくる。それはそれで特に問題ではない、いやむしろ好ましいことかもしれない。しかしながら、何かを決めようとする時、問題が出てくる。特に多数決イコール民主主義ではないとしても、多数決で決める時、全員にとって利害が共通しているような場合は多数決で決めることができるだろうが、組織のあるグループから提起された議題については、多数決では否決されるという辞退が起ってくる。多数のコンセンサスを得ることが難しくなってくるというわけだ。

どのような組織であれ、一定の新陳代謝、改革、革新は組織の運営原則として実行可能なものでなければならないと思うが、こうしたことは組織の中の先進的グループが問題提起することが多い。組織の中の風通しが、良くて日頃から十分なコミュ二ケーションが取れていても、いざ決定するとなると多数の賛成が得られなくて、否決されるということになりがちだ。組織の中の人々はいつの間にか「現状維持」「現状の延長線的変化」を選ぶようになっていく。なぜなら現状に自分の居場所を確保しているからだ。

こうして、極端に言えば、組織は大きいが、重要なことは何も決められないという事態も起こってくる。

恐らく組織にはその目的に合った大きさ、というものがあるはずだ。組織が活力を維持しつつ、全員のコンセンサス、コミットメントが得られるようなサイズだ。一つの組織で300名というのに対し、50名の組織を6つ、あるいは100名の組織を3つ、という組織設計も考えられる。そして6つないしは3つの組織はそれぞれネットワーク化して一体感を持つようにする。

組織のサイズと活力はつねにリーダーにとって最重要課題の一つとなる。大きいことは必ずしもいいこと、ではない。

 

人生の荒野・底冷えの時期をどう考えるか

長い人生では、回り道、停滞の時期、下積みの時期がある。失意、挫折もある。すべて順調に行くということはまずないだろう。またそのような人生を仮に送れたとしてもそのような人生が幸せな人生だとは言い切れないのではないか。さて問題はそのような時期を後でどのように考えるか、ということだ。私自身は会社を畳んでから今まで約15年間、試行錯誤の年月を過ごしてきた。なんとかギリギリで生活はできたが、問題は本当の意味でどのような仕事したら良いのか分らず、紆余曲折していた。自分がやりたい仕事が分らなかった。自分が活かされ、かつモチベーションを持って取り組める仕事が見つからなかった。そんな思いを抱きながら浮き草のように漂っていた。自分が生きている意味さえ感じられなくなった日々もあった。私のことはさておき、人生には荒野を歩かなければならない時がある。大事なことは荒野で何を学ぶかだろう。学んだ内容によってそれからの人生が変わっていく。歴史小説家の火坂雅志氏の言葉がある。「32歳のときに、私は小説の世界に飛び込んだ。・・・自分では自信があるつもりだったが、処女作はまったく売れなかった。その後も鳴かず飛ばずがつづき、どうしたらよいのか悩み抜いた時期があった。・・・

自信と自己否定がせめぎ合う孤独のなかで、必死に歩いてきた」。火坂氏の後年の活躍ぶりは言うまでもないが、荒野の旅は底冷えのするものだったと他の個所で述懐している。

人は荒野を歩いて、本来歩くべき道へと導かれるのかもしれない。

私の場合はささやかではあるが、歩くべき道が見つかった。フロンティア的分野の仕事なので、世間から評価して頂くまでは時間がかかるだろう。