根府川の海・茨木のり子

日本経済新聞土曜日の夕刊文化で茨木のり子さんの詩「根府川の海」が取り上げられていた。「アッ」と声を上げた。私は学生時代、詩を書いていた。と言っても妄想の産物のようなもので詩と言えるようなものではなかったが、それがキッカケになって何冊かの詩集を読んだ。最初は思想詩のようなものを好んだが、途中から詩の持つ深い世界に関心を持つようになった。私が青春時代の、いわば吹き溜まりで読んだ2人の詩人の作品が私に深い衝撃を与えた。

1人は村上昭夫の「動物哀歌」、もう一人は茨木のり子の「対話」「見えない配達夫」だった。当時の私は人生の重心を持とうとしても持てず「生きているという実感に乏しい生活」をしていた。当時流行った言葉で言えばデラシネ。デカダンス風だったのかもしれない。

茨木さんの「根府川の海」に見え隠れする女性の凛とした心意気に惹かれ、ある日茨木さんが何を見ていたのか、知りたくて、そのためだけに東海道線に乗って、根府川駅までやってきた。今風に言えば「男前の詩」。いや男以上の詩かもしれない。プラットフォームには確かカンナが咲いていたと思うが、どうも記憶が定かではない。駅の改札を出て、石ころだらけの崖を降りて根府川の海に触れた。両手で波を掬って唇を濡らした。暫く青い太平洋を見ていた。

茨木さんは戦時中、愛知県の実家と学校がある東京の間を往復する時、根府川駅を何度も通過していた。

私は弟が入院している伊豆長岡の病院に行くために何度も根府川駅を通過した。今ではカンナよりもパノラマのように眼前に広がる青い海が好きだ。根府川駅を通過する度に私は席を立って、ドアの傍に行き、海を見つめる。「根府川の海よ」

 

ソニーの新しい取り組み

電車の車内でパナソニックの電子広告をよく見かける。冷蔵庫、洗濯機。最近では髪のカール器、それに美トレ。ジョギングをしながら、腹筋も鍛える商品。最近パナソニックの津賀社長が「大ヒット商品狙いからお役立ち商品の開発」に開発方針をシフトすると言っていたが、その方針に沿った商品が次々と市場に出てきているように感じられる。

さて、ソニー。最近の平井社長のインタビュー記事を読むと、「オープンイノベーション」方式で社外にある差別化された技術やイノベーションとの連携、融合を計ろうとしている。発想はベンチャーと一緒に新商品を「共創」していくということだろう。

この記事を読んで思い出したのは米国のGEだ。GEはエジソンが最初京都の竹からフィラメントを作ったこともあり、日本のベンチャー企業に強い関心を寄せている。数年前、あるベンチャー企業A社の商品開発のサポートをしていた時、その企業の医療装置にGEが関心を持ち、GEの赤坂オフィスでプレゼンをしてほしいとの要請があった。同社の社長はいたく喜んだ。「GEにも認めて貰えた」というわけだ。プレゼンの日、GEが声を掛けた日本のベンチャー企業が20社以上集まり、分野別にGEのスタッフ(米国本社からも多数来ていた)にプレゼンをした。A社の医療装置はもう一つ精度が足りず、結局採用迄には到らなかったが、私自身はGEが日本のベンチャー企業の開発情報をきめ細かく収集していることに改めて驚かされた。

「オープンイノベーション」と言っても待っているだけでは、掛け声だけでは、相手はやってこない。ソニーがどのようにベンチャー企業とその開発技術に積極的にアプローチしていくのか、そのアプローチにソニーらしさがなければGEの後塵を拝することになるだろう。米国GEは金融からモノづくりに回帰している。GEの日本のベンチャー企業に対する誘い掛けは更に熱を帯びてくるのではないだろうか。

 

今日はとても楽しかった

一つの行為の終りをどのような言葉で締め括るかというのは意外と大事なことではないだろうか。例えば食事の後。ご飯、味噌汁、シャケ、梅干、納豆。日本人の食卓として、言ってみれば平凡だが、食べ終わってから何も言わずに食卓の席を立つ場合と「美味しかった」と言って食事を終える場合。「美味しかった」と言った時、「何が美味しかった」と聞かれる。この質問にはしっかり味わって食べていないと答えられない。

「シャケが美味しかった。脂がそれほどなくてちょうど良かった」

「いつもはチリ産のシャケなんだけど、ロシア産のシャケを買ってみたの。日本のシャケと似ているのよ」「そうなんだ」

農作業もそうかもしれない。今日は疲れたという場合と疲れたけどやるべきことも出来たし、秋風も気持ち良かったし、畑の菜園仲間も増えたし、とても楽しい農作業だったと言って畑を後にすることもできる。

人と会って雑談した後、「今日はとても楽しかったわ」と必ず言う人がいる。雑談の中で何か大切なことに気付いたのかもしれない。あるいは人と話すこと自体が嬉しいことなのかもしれない。特に齢をとってくるとそれが分る。

激しい議論が展開された会議の後、ファシリテーターのNさんが言った。「今日の会議はとてもいい会議でしたよ」。意見が分かれまとまらなかった会議だった。

会議の後、私はNさんにそっと聞いた。「今日の会議はとても良かったと言われましたが私にはそうは思えませんでしたが」

Nさんは言った。「今日の会議で皆さんがチームになっていくキッカケができました」

 

シニア夫婦の願い

先日家内と一緒にテレビで「プレーボーイ探偵社」を見ていた。教師だった夫が定年退職後、趣味もなく家でぶらぶらしているのを見かねて奥さんが一計を案じる。ところがそれが夫の誤解を生み、男性と不倫をしているのではないかと疑い、探偵社に素行調査を依頼する。その途中報告を見て不倫していると決め付ける。とうとう奥さんに「出て行け!」となり、荷物をまとめて奥さんは家を出ていく。そしてビジネスホテルに宿泊している奥さんに「離婚届を送るからどこにいるか教えろ」と携帯で伝える。ここから探偵社がこのままではいけない、ということで更に調査し、奥さんの不倫疑惑を打ち消す材料を集めていく。最後はとても美しい結末だった。このドラマの中で「夫は妻の夢とか、何を願っているのか分っていない」という科白があった。ドラマの奥さんは私達の世代のタイプだ。その奥さんが「夫と一緒に輝く時間を持ちたい」と願う。それは一緒に社交ダンスを踊ることだった。身につまされる、夫婦で一緒に見て良かったなと思えるドラマだった。

 

自然な笑顔

家の近くの丸井の地下食料品売り場に買物に行く。籠にピックアップした商品を入れてレジに行くと若い女性が軽くお辞儀をしてにっこり微笑む。微笑まれて悪い気はしないが、来るお客さん毎に、にっこりするのはきっと疲れることだろう。ある人から聞いたことだが、このようなにっこり微笑むという表情づくりは「感情労働」とのことだ。現在は接客の大事な要素として「笑顔トレーニング」が売り場を抱える店では行なわれている。仏頂面されて接客されるよりも笑顔の方がいいに決まっているが、やはり贅沢を言えば「自然な笑顔」を見たい。それではどうすれば自然の笑顔が一瞬でも生まれてくるのか。これは「対面販売の妙」に関わることではないかと思う。笑顔に対して笑顔で応える。そのためには短くてもコミュニケーションが必要ではないか。その時間さえ惜しむような合理化、スピード化は問題かもしれない。

スーパーマーケット方式は売り場から生活感の溢れる会話を消滅させてしまった。大量販売の掛け声の下に。超高齢化社会。恐らくこの揺り戻しはきっと来る。

 

居酒屋で・・・

福井県の会社の担当者Tさんと仕事の打ち合わせの後、一緒に飯田橋に出た。お目当てはガード下の居酒屋。初めていく。ここの女将さんは以前私が千代田区立高齢者センターで野菜栽培講習会の講師をしていた時、2年間通ってくださった。一度行きますよ、と言っていたが、なかなか約束が果たせないままだった。5時半頃だった。8名ほど座れるカウンターとテーブル1セットのこじんまりした店だ。カウンター席はもう半分以上埋まっている。会社帰りの人だろう。シニアの男性たち。会話が弾んでいる。私達2人はカウンター席の一番奥に座った。私は久振りなので、女将さんとしばらく話す。一杯飲んで帰る人と暖簾をくぐって入ってくる人。段々混んでくる。ご夫婦の間に若い男性が立っているので、聞くと息子さんだとのこと。私と女将さんとの話を聞きながら、「農作業をやってみたいですね。どこでやっているんですか」。武蔵野線の北朝霞の傍の畑だと答えると、「ぼくも北朝霞に住んでいます」「一度私の畑に遊びに来る?」と言うと「是非いきたいです」。「自分で育てた野菜を調理してお店に出すとコストも下がるし、お客さんにも喜んで貰えるよ」と軽く煽る。息子さんは近い将来この店を継ぐのだろう。

それにしても人と人との出会いが不思議だ。女将さんに会いに行ったが、息子さんにも遭えた。ひょっとすると息子さんに武蔵野農園の農作業を手伝って貰えるかもしれない。

 

中国との付き合い方

昔は私も中国ファンだったが、最近は正直言って中国に対して批判的になっている。主な理由は対日批判であり、国際法を無視した海洋進出とそれとセットになった軍事的膨張主義であり、国内における人権弾圧だ。しかし中国に対して感情的対応はしてはならないという反省、自己抑制も一方で持たなければならないと自覚している。

現在の中国で習近平政権にとって最大の課題は、畢竟中国共産党の独裁的支配を維持できるかどうか、この一点にかかっていると思われる。人民解放軍は230万人、共産党員約9000万人。全人口が13億5千万人。これらの頂点に中国共産党中央委員会があり、習近平政権がある。政権は人民解放軍と中国共産党中央委員会のバランスを取りながら内外の政策を推進しているのだろう。人民解放軍は装備と武器の現代化を要求するであろうし、中国共産党中央委員会内にも左右、中道の考え方があるのではないか。

今日のNHKテレビの夕方の放送でNHKの国際デスクが中国のトップには穏健と強硬の2面性があり、それに振り回されることなく、冷静に対応することが重要だと解説していたが、妥当な見解だと思う。

この度開催された「抗日軍事パレード」は国内向けに習近平総書記が人民解放軍も元、前総書記も政権を支持していることを誇示して、国の団結を図ろうとしたのだろうが、力だけでは本当の団結を産み出し、維持することはできないのではないか。

赤い資本主義国家のカラーが変る時代はそう遠くはないのかもしれない。自由、民主、人権は人間にとって普遍的価値であり、これはアジアの国に置いてもそうではないかと思う。

 

大人の・・・

電車の吊り広告を見るとのなしに見ていると、キャッチ・コピーに「大人の」のタイトルがついたものが目立つ。私はそこに時代の成熟嗜好とマーケットが子どもから30代以降にシフトしているのを感じる。時代の成熟嗜好とは本物の価値を知り、それを選ぼうとする傾向だ。ある意味で私達は「消費することに疲れている」のではないか。最近私自身、余計な飾りもののない、本当に必要な物以外はトコトンそぎ落とした商品に関心が向く。そして、デザイン性が良く、できれば「さすがと思わせる」隠し味のあるような一味違ったものが欲しい。一言で表現すれば「Simple & Deep」と言ったところか。

そのようなものを自分の生活、仕事空間の中に入れていきたいと思うようになってきた。

さて家具については嵩張ることもあり、できれば買わないで済ませたいところだが、段々傷んでくるのでそうもいかない。今私と家内は居間に新しいソファーを置きたいと考えている。家の近くのニトリのショールームに2人で行って展示されているいくつかのソファーに試し座りしてみた。機能性だけを考えると良さそうなのが2,3あったが、デザインの斬新性という点で今一つだった。

ということで次は三郷のイケヤに行こうということになった。

さていいものが見つかるか、大人らしい買物ができるだろうか。

食料の安全保障問題

日本人にとって秋刀魚は秋の食卓にはなくてはならないものだが、最近秋刀魚の漁獲量が減っている。また秋刀魚も以前に比べて小振りになっているようだ。日本にエサを求めて巡回してくる秋刀魚を、公海上で台湾とか中国の漁船が獲っている。その量が近年増えてきているとのことだ。経済成長で所得が増え、食生活も変ってきているのだろう。公海上であれば、漁獲を差し止める訳にもいかない。日本人は鮮度重視というか、生の魚を食べる嗜好があるので、小型漁船で、近海の秋刀魚を取り、急いで漁港に戻ってくるが、台湾、中国は大型船で冷凍庫を持っているので、漁獲の都度港に帰る必要がなく、大量に獲っているようだ。

日本は黒潮と親潮に挟まれて、漁業資源が豊富な国で、寿司を初めとして魚食文化を発達させてきた。東南アジア諸国から見ると豊かな、漁業資源に恵まれている日本が羨ましいということではないだろうか。この魚食文化を今後どのようにして維持していくか、大きな問題だ。

日本人は問題が大きくなってから騒ぎ、慌てて対策と取ろうとする傾向が強い。また外圧に押されて動くというところが多分にある。つまり問題に対して、それが顕在化している問題だけではなく、潜在的な問題に対して「主体的」に向き合うという意識と覚悟と普段の努力が足りないのではないかと思うことがある。

国際化の時代と言われている。戦争ではなく、国際法を遵守しつつ、新しいルールづくりを日本はもっと積極的にやるべきではないか。

日本の安全保障はまず食料が第一だ。確かフランスの知人が言った言葉と記憶しているが

「農業は国防産業だ」

もうすぐ秋刀魚がわが家の食卓にも乗るだろう。

神田の古本屋街でやっと見つけた本

時代小説「欅風」を書いている時、大阪の上層商人がつくった懐徳堂に関連して富永仲基のことが気になった。というのも岩波書店の日本思想体系シリーズを古本屋で4冊購入したが、「富永仲基と山片蟠桃」の1冊がなかなか手に入らなかった。それが今日神保町の古本屋で手に入った。既に購入した4冊は、「本多利明・海保青陵」「二宮尊徳・大原幽学」「石門心学」「渡辺崋山・・・横井小楠」。

江戸時代の文とはいえ、読むのは簡単ではない。当時の農民、商人の漢籍の素養にも驚かされる。富永仲基は懐徳堂創設の五同志の一人、道明寺屋吉左衛門の三男に生まれた。1746年、32歳という短い生涯だった。山片蟠桃の「夢の代」は確か岩波文庫から出ているが、富永仲基の「出定後語」は恐らくこの思想体系以外では読めないのではないか。

富永仲基は「加上」を提唱し、思想の発達を解明する史的方法論を確立した(水田紀久氏)と評価されている。

一方山片蟠桃は豪商升屋の番頭として全国数十藩の大名貸として、また仙台藩などの財政立て直しに才覚を発揮した、博学の町人学者でもあった。

これで読みたい本が一通り手元に集まったので、これからの時間を使って読んでいきたい。

本多といい、海保といい、富永といい、山片といい、これほどの独創的な現実的合理主義者が江戸時代輩出した理由は何だったのだろうか。