植物のアルゴリズムについて

最近アルゴリズムという言葉をしばしば耳にする。以前NHK EテレのTAD プレゼンテーションでクリストファー・スタイナーがアルゴリズムが株式市場を支配し、そしてあらゆるところにアルゴリズムが拡がっている様を説明していた。以前人工知能の会社の営業面の手伝いをしていた時、アルゴリズムという概念に初めて出合った。一つの結論を出すための複雑なプログラム、という程度の理解しかなかったが、スタイナーのプレゼンを見て「本当のところはどんなものなのか」知りたくなり、幸いスタイナーの書いた本が出ているので、早速購入した。(2013年10月10日初版)

「アルゴリズムが世界を支配する」(角川選書)だ。帯には「未来はアルゴリズムから逃れられない‐ボットに支配される社会で成功する道はどこにあるか」

一読して感じたことは私達が知らない間に、知らないところでアルゴリズムが拡がり、浸透している、という驚きと、同時に不安だった。夥しい数のアルゴリズムがまるで生き物のように動いている。アルゴリズム同士がぶつかり合って飛んでもないことが起こる。

2010年5月6日の米国の株式市場の考えられないような株価の破滅的下落と反発回復はトレーダーが手洗いやコーヒーを買うために数分席をはずしていた間に起った。

アルゴリズムの存在がなければ、マーケットはこれほど早く、これほど激しく乱高下することはなかった。ウオールストリートを襲った有名な「フラッシュクラッシュ」事件だ。

「アルゴリズム自体は理想的な成果を上げるために機械的に発せられる一連の指図だ」(同書92p)であるにも拘らずなぜこのような理想的とも言えない結果をもたらすのだろうか。私には個々のアルゴリズムとアルゴリズムの間の関係性調整のアルゴリズムが欠如しているからと思えるが、果たして関係性調整のアルゴリズムなどというものが可能なのだろうかという疑問も同時に湧いてくる。恐らくアルゴリズムの世界を支配しているのは「弱肉強食」、あるいは「自然淘汰」の不文律なのかもしれない。ある意味で極めて野蛮な世界だ。

一方野菜も含め植物と接していると植物の世界にもアルゴリズムがあるのではないかと思わされる。小さな種が、土中温度、湿度、太陽光、土の化学性、物理性、生物性などの情報を独自のセンサーシステムで感知しながら根を伸ばし、発芽していく。葉をつける野菜、実をつける野菜、根を食べる野菜へと生長していく。

現代人は人間が作った人工物としてのコンピュータのアルゴリズムの世界だけでなく、自然のアルゴリズムを理解して、より良い社会を、世界をつくっていかなければならないという、今だかつて経験したことのない複雑で、壮大な世界で生きていくことを求められているようだ。

なおアルゴリズムという用語は9世紀のペルシャの数学者、アブー=アブドウラ・ムハンマド・イブン=アル=フワーリズミーから来ているとのことだ。彼の名前が「アルゴリズム」と訳され、それがそのままシステマチック/オートマチックな計算手法を指すようになっていった。(同書93P)

 

歌と人生

最近KANAさんの歌をよく聞いている。好きな歌は「時間よ、止まれ」「哀愁のジャズシンガー」「リバーサイドカフェ」。そして今年の8月にリリースされた新曲「永久の月」。詞を読むと悲しい歌だ。恋人を病気で失い、その痛みを抱きしめながら生きていく若い女性が月を見上げる・・・そんなイメージの歌だ。今までKANAさんの歌を3曲聞いてきたが、KANAさんの声、雰囲気にぴったり合った歌、というのが私の感想になる。是非CDを購入して繰り返し聞いてみたい。

人は愛する人を失った時、過去に戻り、幸せだった頃、そのシーンを一つ一つ思い出し、涙に暮れ、いつの間にか死を間近に感じる。しかしそのような時、人は死から永遠を思う旅路をいつの間にか一人で歩いている。目を上げると夜空に月が昇り、星が瞬いている。月と星は暗闇の中で輝く。今の自分自身はそこ迄行くことはできない。だけど月を見ること、星を見ることはできる。存在を確信することはできる。それがどれほど人を慰めてくれるものか。

歌と人生が幸福な出会いをする時がある。歌が人生に寄り添ってくるのか、あるいは人生が歌に寄り添っていくのか、それは分からない。その出会いは時間的でもあり、空間的でもある。人生の終りの時まで、いろいろな歌と出会いたい。歌の中に人生があり、人生の中に歌がある。

 

自然観の違い

一度自分の自然観を整理してみたいと思っていた。「自然にやさしい」「自然と向き合う」「自然の中で生きる」は私もよく使う言葉だ。さて現在私達は普通に使っているこの「自然」という言葉は日本では明治後期から使われ始め、それまでは自然に相当するものとして日本人は「天地有情」という言葉を使っていたらしい。有情には人間も含め生きとし生けるものの営みと想いがこめられているのではないか。それどころか恵みも豊かに与えてくれると同時に自然災害も与える天地の神の想いが、有情の中心にあるのかもしれない。

私の勝手な解釈だが・・・。

さて自然については西洋的考え方と日本的感覚を比較してみるとその違いが浮かび上がってくるかもしれない。

ここでの問題は自然を客観的対象としてみるか、あるいは自分も自然の一部として共生の世界に生きるかという設定に置き換えることもできる。

自然を客観的対象と見るのは科学的精神に基づいた西洋的考え方、自分も自然の一部として見るのは日本人が縄文時代から受け継いできた感性と整理してみたらどうだろうか。後者は正確に言うなら自然という概念も認識さえもない天地有情の中で人は生かされているという感覚だ。それだけ融合、一体化されている。

ただ西洋でも人々が「自然」という概念に向き合うようになったのはルネッサンス以降と言われている。視線が神のおられる天から地上に下がってきた時、また合理主義、科学的精神の発展期に、富の源泉としての自然が目の前に現れたのではないだろうか。

一方日本では明治以降自然と言う言葉が輸入され、自然が対象化、思想化されたと言われている。言い換えれば自分達が今までその中で生きていた自然の中から出て、自然の外に出て自然と向き合うようになった。その時、自然はどのような意味合いを帯びるようになったのか。また日本人のこころから何が失われていったのか。

私は屋上で、また露地で野菜、果樹を栽培している。それは商品として農産物を販売するためではなく、人々の日々の暮らし、社会の基礎に「農」の価値を取り戻したいと考えているからだ。特に屋上での野菜、果樹の栽培について以前マニュアルのようなものをつくることを考えたが、今は技術論だけではなく、情感も加えたい。もし私が自分の栽培経験をまとめるとしたら「野菜栽培愛情物語」となるだろう。

 

武蔵野農園で自然について想う

武蔵野農園で稲ワラを田圃で集め、畑に持っていこうとしたら、畦道の水溜りに塩辛トンボが2匹飛んできた。夏は終ったのに、まだ頑張っていたのか。トンボと言えば、最近は赤トンボを見かけなくなっている。今度新しく借りた武蔵野農園は田園地帯にあり、畑の隣り合わせに田圃がある。想像するに恐らく初めのころは一面田圃だったのではないか。それが稲作を止めたところに盛土をして一部が畑に変ったのではないか。現に私達の武蔵野農園も以前は田圃だったと聞いている。田圃が耕作放棄地になり、そこに建設現場の残土が運び込まれて盛土される。そのまま雑草が生い茂る場所になることが多いのかもしれないが、雑草を刈ることを条件に市民に貸出されるケースもある。

場所柄、あたりには高い建物がなく、隣を新河岸川が流れている。台地と川との間にある低地で田畑が広がっている。この低地を横切るようにして武蔵野線の電車が高架の上を頻繁に走っている。

以前の畑は団地と畑の中に突き出す岬のような土地(以前は駐車場だった)に新しく建った分譲住宅10件の間に挟まれていた。わが家から行くには比較的近くて便利だったが、耕耘機の使用(かなりの騒音になる)、肥料の臭いも含め、気を遣いながら農作業をしていた。勿論野焼きもできなかった。(草木灰をとるにはちょうどいいのだが)

武蔵野農園では風景も一変した。田畑を吹き渡ってくる風が本当に気持ちいい。その気持ち良さが自分は自然の中にいるんだ、という意識にいつのまのか誘っていた。農作業の手を休めて一息いれながら高い青空を流れていく白い雲を見た後、その視線を降ろして雑木林、田畑を見渡しているうちに「自然と向き合う」「自然の中で生きる」とはどういうことかという問いが思いがけず自分の中で浮かんできた。夕昏が訪れるとどこからともなく赤トンボが武蔵野農園にもやってきて私達の頭上を、群れをなして飛んでいる。今年も赤トンボを見ることができた。赤トンボを見るとなぜか昔を思いだす。三木露風の童謡「赤トンボ」のイメージのせいかもしれない。

 

「人生」を描く

映画「岸辺の旅」(10月1日公開)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受けた黒沢 清氏が授賞式で述べた言葉が印象的だった。

「初めて人生を描けたのかなと思う」「夫婦の人生のある部分に寄り添えた。僕がやろうとしたのは、夫婦の揺れ動く感情のドラマ、関係性だった」

「人生」、「揺れ動く感情」「関係性」という言葉の前で、私は思わず立ち止まった。というのは、「人生」というある意味で平凡な言葉が、新しい光で照らされるのを感じたからだ。と同時にフランクルのあの忘れ難い言葉を想起した。「人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行なうことに対する責任を担うことに他ならないのである」(「夜と霧」八 絶望との闘い 183P)

以前読んだ時は正しく答える、使命を果たす・・・に関心を寄せた。関心の所在は、私には何が問われているか、私の使命とは何か、つまり「私とは何者か?」「私はなぜ存在しているのか?」というところにあったように思う。関係性の意識が希薄だった。それに対し、黒沢清氏は人生を日々の務めに伴う関係性として、私に提示してくれたように思う。務めには感情が伴う。これは私にとって大きな気付きとなった。他の人々との関係性、他の自然物との関係性は程度の差こそあれ、いつも揺れ動いている。関係性は近くなったり離れたりする。しかし関係性は見えない。見えないものが見えるようになる。それが年齢を重ねるということ、挫折を経験するということ、聖なるあきらめをすることの一つの結果なのかもしれない。

日々の生活の中でこの関係性の揺らぎを感じながら毎日の平凡な務めを当り前のように行なっていくこと・・・それが人生のような気がする。もっと早く気付けば良かったと思うが、今からでも遅くはない、間に合ったのだと思うことにしよう。一日という日の大きさ、深さに向かい合うことは大きな喜びとなる。

「岸辺の旅」は10月1日に公開される。是非見たい映画だ。

 

夕昏の商店街を歩きながら

仕事が早く終ったので、帰り道の途中駅で降りた。恐らく10年前、この駅に続く商店街を歩いたことがある。確かその時は今は全国的に展開しているモスバーガーの第一号店がある、というのでそれ目的でこの駅で降りた。坂道の途中にある小さな店だった。久しぶりに商店街を歩く。びっくりしたのは道の左右に並ぶ店の殆どが食べ物屋だ。ラーメン、カレー、焼肉などの店、バーガーや牛丼などファーストフードのチェーン店、その中に大手薬局チェーンの店が1店、エステが2店あった。商店街につきものの八百屋、魚屋、惣菜屋、洋品店などが見当たらない。商店街の半ばぐらいのところにスーパーのダイエーがあるのでそちらに客が行ってしまうのだろう。

商店街の中にスーパーがあると商店街自体のあり方も変ってしまうのだろう。たまに行く十条銀座とか、大山商店街はスーパーがないためか、昔の商店街の雰囲気を漂わせている。

傘を差しながら商店街の裏道を歩いていると、右側に細い露地があり、その両側に小さな飲み屋がぎっしり並んでいる。飲み屋横丁だ。

これから昔からの商店街はどうなっていくのだろうか。誰かが商店街は地域コミュニティでもあり、守っていかなければならないものだ、と言っていたが、どのように守って行ったら良いのか。そんな思いを胸にしながら夕昏迫る商店街を後にして、電車に乗った。

 

安保法案の参議院で審議

安保法案が可決される模様だ。今回の法案に対する私自身の立ち位置は中立と賛成の中間になるのではないかと思っている。政治的にはデモにも参加しないいわゆるサイレントマジョリティに属するが、声高ではなく、少し呟いてみたいと思う。因みに家内は反対。夕食の後私の考えを家内に話したところ、ちょっと気まずい雰囲気となったので、政治について語ることは難しいことだな、と思わず感じた次第だ。

今回の論点は3つあると思っている。私のつぶやきも加えてコメントしたい。

1.冷戦以降の日本の対米従属路線から主体性のある路線へ

アメリカ軍が強力な軍事力と外交力で日本を守ってくれるという安心感が結果的にアメリカに対する依存姿勢を強めてしまった。これは政府と国民に共通した意識ではないだろうか。依存は従属に堕していく。

従属から主体性を持った姿勢に転換していくためには、どのような意識を持つべきななのか、どのような覚悟が求められるのか、どのような努力とコストと犠牲を負担しなければならないのか、国民レベルでも議論し合うことが大事ではないか。

2.国際環境の変化に対する軍事力と外交力のミックス

一番大きな問題は中国の軍拡傾向だ。また北朝鮮の先軍主義もそうだ。特に中国の軍事的脅威は国際法を踏みにじる段階迄来ている。地政学的には両国とも日本に隣接している。いざ事が合った場合日本単独で対処、対抗するには限界がある。ただこの場合、日本は米国と一緒になって軍事的に対抗するのではなく、可能であれば国連軍の一部として行動すべきだろう。「日本の侵略戦争」と相手に言わせてはならない。軍事行動は、いつどこで勃発するか分からない。その場合は「集団的自衛権」に基づき行動せざるを得ないだろうが、あくまで「自衛」に徹し、例えば米国にズルズルと自衛以外の戦場に引きずられていくべきではない。これが現在の自民党政権にできるかどうか、一番大きな懸念材料だ。家内は「それは無理よ」と断言している。やはりここが肝だ。

3.憲法9条の遵守は日本国民のためでもあり、東南アジアのためでもある

私は改憲には反対だ。憲法9条は日本が世界で、特に東南アジアでこれからも生きていくためには絶対必要と考えている。この9条は、日本は戦前の日本帝国に戻ることは決してない、という証でもある。9条は東南アジアに対する先の戦争への心底からの謝罪でもあり、痛烈な反省でもあり、誓いでもある。

 

誰もが生かされる場

サラリーマンをやめて農業を始めたSさん夫妻が書かれた本を読んでいる。1984年12月に初版が出ている。今から30年前、ご夫妻は山梨県で有機農業をまさに一から始められた。本の「あとがき」を読んでいる時、思わず立ち止まった個所がある。

「私たちが、サラリーマンをやめて農業を始めた理由の一つに『誰もが生かされる場を創りたい』という夢を実現したいということがあります」

ご夫妻によれば、農業という仕事は誰にもできるし、分け隔てなく自然が人をそれぞれにふさわしく生かしてくれる。力を合わせ、分かち合っていけば、「私たちの文化」が生まれるのではないか、そんな希望も与えてくれる・・・。

私自身も思うのだが、確かに農業にはさまざまな細かい仕事がある。そしてそれぞれが大切な仕事なのだ。やればやるほど細かい仕事が増えていく。男性に向いている仕事もあれば女性に向いている仕事もある。ハンディキャップのある人でも出来る仕事がある。

農業の世界では役に立つ人、役に立たない人という単純な二元論が成立たないようにしたいと思う。

誰もが生かされる場、私たちの文化・・・この2つをキーワードにして、私なりの理解を深め、拡げていきたい。有機農業とは野菜の栽培方法に留まらず、自然をベースにした人と人との社会的関係も含んでいる。

 

インスタントコーヒーの「インスタント」の意味

ネスレ日本がインスタントのコーヒー、ネスカフェの呼称をレギュラーソリュブル(溶ける)に刷新した。ソリュブルとは焙煎したコーヒー豆の微粉末を入れる製法とのことで、価格は従来のインスタントコーヒーの4倍に跳ね上がる。私自身はまだ飲んだことがないが、人それぞれにコーヒーを楽しむスタイルがあるのではないだろうか。

私はほぼ毎朝コーヒーをろ紙を使ってドリップ方式で飲んでいる。あたりにコーヒーのこうばしい香りが漂う。その香りを楽しみながら、コーヒーを啜り、一日を始める。大袈裟に言えばこれは一種の儀式かもしれない。

インスタントコーヒーではそうはいかない。香りも楽しむほどではない。レギュラーコーヒーが切れた時には、インスタントコーヒーを飲むが、積極的に飲みたいわけではない。

キットカットを成功させたことで知られるように、消費者の心理を読むのが得意なネスレ日本の高岡社長は「味だけではなくブランディングで勝つ」と言っているそうだが、時流をどのように読まれているのだろうか。私の個人的好みから言えば、品質の高いレギュラーコーヒーを飲みたいと思う。それが時流ではないかと感じている。最近は外でコーヒーを飲む時も香り高いカフェを無意識に選んでいる。

かつて経済の高度成長期、残業に追われて仕事をしていた。その時は眠気覚ましにインスタントコーヒーを飲んだが、今はコーヒーの香りと味を楽しみたい。インスタント(instant)ではなくクオリティタイムを大事にしたい。

蛇足だが、「ブランディングで勝つ」と言われているが、何に勝つというのだろうか。私にはレギュラーソリュブル(溶ける)が「中途半端」という谷にぶら下がっているような気がしてならない。ただ飲まずに言うのも失礼なので、近い内にレギュラーソリュブルを購入して飲んでみたい。私の思い込みを是非裏切ってほしいものだ。

 

ブルーオーシャン戦略再び・戦わない事業経営

ブルーオーシャン戦略は対極をなすレッドオーシャン戦略に対して、敵がいない、従い戦いがない、しかし可能性のあるオーシャン、つまり「大洋」で魚を獲る戦略だ。激しい戦いの中で赤い、つまり流された血で染まった大洋ではなく、青い大洋を目指せと呼びかける。青と赤、このカラーの対比は秀逸だ。先日もNHK Eテレで最近ビジネスを飛躍的に成功させたあるIT系の会社の社長が、次のようなことを言っていた。

1.戦わない経営。敵のいないところでビジネスを立ち上げる

2.儲かりそうもないビジネスに取り組む

3.先行者を目指す。先行者としてビジネスを行い、ノウハウを開発し続けていけばフォロワーが出てきても追いつかれることはない

現在は考えようによってはブルーオーシャンがあちらこちらに出現している時代なのかもしれない。問題はどこにブルーオーシャンがあるかを見つける探知能力だ。IT系会社の社長はそのためには「優秀な人に会う」ことが大事だと言っていた。

ただ現実問題として「ブルーオーシャン」ありき、ではないと思う。最初は儲かりそうもない灰色の海で船を一生懸命漕いでいるうちに、魚群のいる海流に遭遇し、段々と海の色が灰色から青に変っていくのではないか。求められるのは深みに漕ぎ出す勇気と特別な魚群探知機なのかもしれない。