有機栽培という言葉を使う時にいつも思い出したいこと

有機野菜、有機栽培という言葉を使う時、私はそのために労苦された人々の言葉を思い起こす。小川町の有機野菜塾に通った時、金子美登さんが有機農業に切り替えることを決断し、実行に移そうとした時、集落の農家から強い反対を受けた。この反対が金子さんにとってどれほど厳しいものであったか、都会で暮らしていた者には想像がつかないものであったと思う。金子さんは「変り者扱い」された。ところが金子さんをチャンスを与えてくれた人がいた。金子さんの信念に動かされたに違いない。

そして今日金子さんの下里は天皇皇后両陛下が訪問されるまでに有機農業では著名な集落になっている。

今朝、昨日買った星さんと山下さんの対談集「農は輝ける」を読んでいた時、星さんが山形県で有機農業に取り組んだ時、国が推進する近代化に対抗する動きと地域社会から見られ、大変な圧力を受けたこと、歯を食いしばってそれに耐え続けたことを述懐されていた。

そこには自分自身との闘いもあった、と。恐らく自分自身との闘いが一番厳しかったのではないだろうか。星さんの話の後、有機農業とは一定の距離をとった山下さんが「有機農業とはまさに勇気農業」と言われている。

私達市民の農業で、有機栽培とか有機農業という場合、先人の闘いと労苦をいつも頭の片隅においておきたい。単なるキャッチフレーズにしてはいけない。

日本農政の「近代化」推進に対して、「それは違う」と異論を唱え、孤立を恐れないで有機農業に取り組んできた先人の足跡を辿りたいと思う。有機ある農業者に、私達市民、消費者は何をもって応えていったら良いのか。

農業関係の本2冊購入

今日は九段下の法務局での手続きが終ってから神保町に徒歩で向った。歩いてすぐに神保町だ。古本屋街があるが、今日はそちらには寄らず、交差点の近くにある農文協ブックセンターに向った。買いたい本があった。それはNHKアーカイブスで紹介されていた1981年刊の星寛治さんと山下惣一さんの往復書簡集「北の農民 南の農民」。この本は既に出版社もなく絶版になっていたが、その続編にあたる本が出ていた。タイトルは対談集の「農は輝ける」創森社2013年3月15日 刊行。もう一つは山下惣一さんと中島正さんの往復書簡集「市民皆農」。後者の本は私が目指しているコンセプトにぴったりの題名なので、迷わず買うことにした。2冊の本の支払いをした後、お店の人とちょっと雑談。「市民皆農」という本を買う人なら関心を持つのではないかと思ったようで、農協の準会員を論じた本を紹介してくれた。その本の目次を見ると山下惣一さんの文も載っていた。ただ購入は次回とした。帰りの電車の中で、「農は輝ける」を早速読み始めた。2部構成になっている。対談集というより、新潟県阿賀野市の石塚美津夫さんも交えた鼎談集だ。1部は3.11前の2011年3月5日、2部は2012年2月12日。3人の発言をじっくり味わいながら読んでいきたい。

 

農業の世界こそ日本型ビジネスモデルが必要ではないか

過去数年にわたって自分なりにビジネスモデルの勉強をしてきた。ビジネスモデル関係の本は大体読んできたが、その中で理論的には

「ザ・プロフィット」エイドリアン・スライウォツキー(ダイアモンド社 2002年12月12日)

「ビジネスモデル戦略論」(ハーバードビジネスレビュー編集部2006年10月5日)

「ビジネスモデル・シンキング」安室 憲一(文眞堂2007年4月30日発行)

「ビジネスモデル革命」寺本義也他(生産性出版 2007年5月25日発行)

「ビジネスモデルイノベーション」野中郁次郎(東洋経済新報社2012年8月14日発行)

「なぜあの会社は儲かるのか?」山田英夫(日本経済新聞出版社2012年7月23日)

などを読んできた。2006年のハーバードビジネスレビューでビジネスモデル特集が組まれてからビジネスモデル関係の本が増えてきた。それまではビジネスモデル関係の本は殆ど無かった。

そして実務的に一番参考になったのは、なんといっても「経営学」小倉昌男(1999年10月4日発行)だ。「経営学」は繰り返し読んでいる。

さらにビジネスモデルの理論と実際の制作を勉強したいと思っていた私にとって「ビジネスモデルジェンレレーション」(翔泳社 2012年2月9日発行)はまさに待望の書であった。購入して約1ヶ月で読了した。読んでいて面白くて次から次へと読んでいった。

そのうち優れたビジネスモデルと言えるようなものが日本の江戸時代にもあったことに気付かされた。そこから「日本型ビジネスモデル」というものがあるのではないかと閃いた。

それも世界に通用する日本発のビジネスモデル。それが私の大袈裟に言えば生涯の研究テーマとなった。そして現在、日本の農業分野で日本型ビジネスモデルづくりに取り組んでいる。

 

今年もあと3ケ月

稔りの秋。とうことはもう直ぐ冬がやってくる。今年は夏が急に終り、残暑もあまりなくすぐに秋になってしまった。ひょっとすると冬が早いかもしれない。あと3ヶ月というところで今年1年の仕上げに入らなければと思う。

今年は仕事の面では今までの集大成的な活動を、具体的に始めることができた。一般社団法人ジャパンベジタブルコミュニティ(JVEC)を仲間と一緒に設立することができたことだ。来月から本格的に活動を開始する。この法人を設立するにあたって、多くの人達との出会いがあった。二つ目。それは地道なことだが、屋上菜園関係とビジネスモデル関係のブログを毎日、それぞれのHPに掲載できたということだ。忙しくて書けなくて、まとめてアップということも再三あったが、何とか続けられた。書き続けることによって思索を深め、拡げることができたように感じている。

三つ目は武蔵野農園を借りることができたことだ。これで私の「半農半X」のライフスタイルの基盤ができた。

それほど大したことができた訳ではないかもしれない。しかし、一歩一歩前に進んでいるという手ごたえがある。

さてこれから3ケ月間が大事だ。是非来年にしっかり結びつけていきたい。

心配事を弄ばない

毎日生活し、仕事をしているといろいろなことが起る。心配症の人のために最近では「心配事は99%起らない」などという本も出ている。人によっては必ず起る1%に注目して心配するのを止められない人もいるかもしれない。

最近気のおけない友人Kさんとカフェで雑談していた時、心配事をどうするか、ということが話題になった。

私「ぼくはどちらかというと心配症だ。家内はぼくのことを楽天家というけど本当は心配症だと思う。それは自分のことだから本当のことが分る」

K「ぼくもそうだ。いやそうだった。何かあった時、心配することは必要だ。心配とは「心を配る」ことだから。しかし心配しすぎてはいけない。事実としての出来事とそれをどう思うか、というのは別のことではないかと思う」

私「別のことというのは?」

K「というのは心配事が発生した場合、当然感情的に反応するよね。まず最悪のことを考える。そして一方でそれを打ち消すため最善のことを考える。そしてその間で揺れ動くということになる。あれこれ考えているうちに振幅の幅が狭くなり、妥当な思いに落ち着く」

私「しかし、そこで本当に落ち着くわけではない?」

K「そうなんだ。また揺れ動く。人間は恐らく心配事に対する耐性を持つことはできない存在なんだろうと思う」

私「どうしたらいいのかな」

K「少し理屈っぽい話になるが、ぼくらは心配事の事実よりもそれを心配している自分の感情に囚われるという傾向がある。ある意味で反応しすぎている。ぼくは最近それに『心配事を弄んでいる』と名付けたんだ」

私「弄ぶか・・・」

K「心配事が与えられるのは自分が直面している現実をもう一度見つめ直す機会と考えたらどうだろうか。更には真実を。どんな場合でも真実は本当の解決を、もっと言うと、覚悟と平安を与えてくれる」

私「実は今あることを心配している。でも今K君の話を聞いて気がついたんだ。本当の解決という見方で心配事を見直してみるよ」

K「心配事を乗り越えるためには意志の力が必要だということも付け加えておきたいね。感情の乱れを整えるのは意志だから」

私「意志が正しい努力を産みだす・・・と続くのかい?」

K「そういうことだね。弄んでいる間は何もしていない」

その後、私とK君はミッチ・アルボムの「モリー先生との火曜日」のモリー先生のあの忘れ難い言葉について話合った。

「つくり出した愛はすべてそのまま残っている。思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだーこの世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」

「死で人生は終る、つながりは終らない」

死は最大の心配事だ。モリー先生はその心配事を解決して天国に行った。

火葬を望みながらも「焼きすぎないように気をつけてくれよ」とちょっと心配しつつ。

 

ブランドの力と本当の価値

ドイツ最大の自動車メーカーであり、世界でもトップクラスの売上を達成しているVW社がディーゼル車問題で揺れている。理由は排ガスをごまかす違法なソフトを車に搭載していたことだ。VW社のブランドに大きな汚点がつき、ブランド力が毀損された。ブランドを築くためには長い年月を要するが、ブランドが崩れる時はそれこそ一瞬だ。最近の事例で言えば、ハンバーガーのマクドナルド、居酒屋のワタミ。マックは中国の鶏肉問題、ワタミは過重労働問題、ブラック企業というレッテルを貼られてから凋落の坂を転げ落ちている。消費者がその商品の価値を認め、信用しているからこそ、対価を払う。それが裏切られた場合の反動はそれだけ激しいものとならざるを得ない。

もう一つの例を挙げたい。ブランド化されたテーマパークとそうでないテーマパーク。販売される同じような商品でも大きな差がつくはずだ。例えば同じような商品で、同じような原価でも、ブランド化されているテーマパークであれば、そのロゴマークを入れることによって高く売ることができる。そしてそれを誰も不思議とは思わない。いや当然とさえ考える。ブランドの力は集客にも大きな効果を発揮する。企業にとってブランドは収益に直結する重大な要素だ。そのためにもブランドは磨いていかなければならない。

フランスにはコルベール委員会というブランド企業の集合体がある。

コルベール委員会は、オート・クチュール、香水、宝飾をはじめとして、皮革、クリスタル、銀細工、陶磁器、インテリア・ファブリック、またシャンパン、ワイン、コニャック、そしてフランス料理、ホテルなどのフランスの高級ブランド75 社によって構成されている。‘質と創造力のフランス伝統の中から、最良のものを保存し、より多くの人々にその喜びを伝える’という理念のもと、香水のゲラン社創始者ジャン・ジャック・ゲランによって1954 年に発足した。会員数は75 に制限されている。

日本にはコルベール委員会に相当するような委員会はあるのだろうか。

 

野菜栽培で有機栽培を続ける意味

人は齢をとるとともにガンを発症しやすくなると言われている。現在日本人男性の3人に2人が、女性では2人に1人が生涯でガンにかかると言われている。ガン細胞は私達の体内で毎日多数発生しているが、免疫細胞がガン細胞を抑えているのでガンを発症しないですんでいる。増えるガン細胞と体内の免疫監視機構のバランスが崩れた時、ガンは発症する。ガンは老化現象の一種で年齢とともに増えていくが、残念ながら老化現象を抑えることはできない。だとすれば、防御機構である免疫細胞に元気でいてもらう必要がある。

免疫監視機構が正常に働くためには良い生活習慣と併せてバランスの良い食事と活発な生活が欠かせないと言われている。

ということで思ったことは、それでは自分にできることは何か、ということである

さて免疫力を大きく左右するのが食事だ。「6つの基礎食品」からバランスよく栄養をとることがポイントになる。その6つの中で第3群は緑黄色野菜、4群は淡色野菜・果実、5群は穀類、いも類と野菜類が半分を占めている。因みに1群は肉・魚、2群は牛乳・乳製品、6群は油脂製品。

自分で野菜栽培をすれば6つの基礎食品の半分はカバーできる。油脂成分についてもエゴマを栽培しエゴマ油などオメガ3系を摂取すれば6群もある程度カバーできる。そして有機栽培すれば野菜からビタミン、ミネラル、食物繊維、スカベンジャー(フィトケミカル)などの栄養素も十分に摂取できる。

さらに農作業は活力ある生活習慣にもつながる可能性が高い。

ガンにかからず元気に長寿を全うする。そんな願いを持ちつつ、自分にできる範囲で免疫力向上に努めていきたいと思わされている。

 

徒然草・兼好法師の凄さ

このブログのタイトルとして、「ビジネスモデル徒然草」としたのはあの有名な兼好法師の「徒然草」にあやかってのことだ。冒頭はこうだ。

「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるおしけれ」

毎日ブログを書いていると少しづつ兼好法師がここで述べていることの意味がわかってくるような気がしている。ところで後半の「あやしうこそものぐるおしけれ」とはどのようなことなのだろうか、と私などは考えてしまう。以下のような解釈がある。

○『ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える』

○『妙に気が変になるような感じがする』 ○『自分ながら妙に感じられるほど――興がわいて来て――何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める』 ○『ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える』 私としては3番目の「何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める』の解釈をとりたいと思う。というのは書くという行為、それを毎日行なっていると書くことによって気付くこと、発見できることがあり、それが些細なことであっても貴重なことのように思えてくる。更に言えば見るべき対象物によって私自身が書かされている、という感じだろうか。それが憑かれていると言えば、そうかもしれない。

私自身は「徒然草」は「ヘタな人生論より徒然草」荻野文子著で読んでいる。(河出書房新社)荻野氏によれば兼好法師はその時代には珍しく「合理的で論理的な思考」の持ち主であり、かつ物事を多面的にとらえる「複眼的な思考」も兼ね備えていたとのことだ。

私は今朝、読んでいて第108段から教えられた。兼好法師は時間についてシャープな感覚を持っていた。

「だから、道に志のある人は、遠い将来までの月日を惜しんではならない。ただ目前の一瞬が、むだにすぎることを惜しむべきである」

昼寝の効用

半農半X的生活になってから昼寝をすることが多くなってきた。習慣化されてきたと言っても良いかもしれない。100%現役時代にはできなかったことである。

最近は大体夜明けに目が醒める。醒めたら布団の中でグズグズしていないですぐに起床する。顔を洗い、コーヒーを淹れる。コーヒーを飲みながら早速今日の仕事を始める。午前中が勝負なので、朝食後すぐに仕事に戻る。目標にしているのは今日の仕事の80%を午前中に終える、ということだ。午前中なら何とか私なりに頭も冴えているので、仕事も順調に進む。

さて昼食を摂ると急に眠くなってしまう。まぶたが重くなってくる。これは早起きのせいだ。今ならアイマスクをして毛布をかぶり1時間ほど昼寝をする。外出先ではオフイスであるいはカフェで居眠りということになる。1時間ほど昼寝をすれば、またエネルギーがチャージできるが午前中のようなわけにはいかない。午後は集中しにくくなるので、気分的に外に向って出ていく。

人に会ったり、街を歩いたり、畑に行ったりと。午前を集中タイムとすると午後は拡散タイム。夜はテレビを見たり、書き物をしたり。集中と拡散のまとめタイムか。実際はリラックスタイム。

精神労働と肉体労働のバランスも大事だ。あまりデスクワークばかりしていると飽きてくる。肉体労働ばかりだと活字に飢えていく。私にとって昼寝は一日を元気に過ごすための補給所のようなものだ。あるいは切り替えスイッチかもしれない。

 

ビジュアル・コミュ二ケーションの必要性とセンス

最近資料をグラフィック化することが増えてきた。私自身以前から図解による説明、図を使ったコミュニケーションをする傾向があったが、使う図解は単純な形が多かった。最近ワードの図解を見て、是非使ってみたいと思わされた。種類はいろいろある。

階層構造、手順、循環、マトリックス、図・・・とある。目的に合わせて使うと良さそうだ。今後のビジネス活動で図解は大きな役割を果たしていくのではないか。そのためには図解の意味を理解する「図解リテラシー」のようなセンスが必要となる。

更にそう思わされたのは「外資系コンサルのスライド作成術[作例集]」(東洋経済新報社(2015年4月9日第一刷発行)を本屋で見かけて購入したためだ。読みながら購入して良かったと思っている。この本の中では図解という言葉ではなくスライドという言葉を使っている。

このスライド集は私が今後仕事を進める上で役に立ちそうだが、一つ気がついたことは「スライドの設計」という作業が重要な意味を持つということだ。つまり課題にしていることをどのような図で表現したら適当なのか、まず「図形イメージ」のようなものが必要となってくるのではないか。このあたりは著者の山口 周氏が「スライド作成の基本ルール」を説明しているので、このルールをまず正確に理解するようにしたい。またテーマ毎に作例集が紹介されているので、トレースするようなやり方で実際に使ってみると作例集のスライドの意味がもっと理解できるようになるだろう。

資料を図を使って作成しているとなぜか楽しい気分になってくる。ちょっと不思議な気もする。文章だけで資料をつくっているとなぜか楽しいという気分は湧いてこない。この差はどこから出てくるのだろうか。人間は言葉よりもイメージに惹かれるのだろうか。もしそうだとするとそれはなぜだろうか。