「見える化」の健康管理

志木市から支給された万歩計を使い、駅とかショッピングセンターでセンサーにタッチしてポイントを稼いでいる。万歩計のデータはデーターセンターに送られて集中的に管理されているので、自分でいちいちセットする必要がない。日が変ると0にセットされている。

健康管理の目安は1日1万歩。この万歩計では歩数全部の数と早く歩いた歩数がそれぞれ表示される。私は身体にある程度負荷をかけるため早く歩くように心がけている。NHKの「ためしてガッテン」でやっていたが早く歩くと、体内のミトコンドリアが増え、エネルギーの元になるATPを増産してくれるとのことなので、早歩きはエネルギー補給の点からもいい。私は出歩くことが多いので毎日ほぼ1万歩以上は歩く。足りない時はわざわざ用事をつくってスーパーに行ったり、ホームセンターとの間を往復したりする。都合がつけば家内と一緒に歩く。家内の場合、家事が多く、自動車で外出するので、歩数を稼ぐチャンスが少ない。

二人にとって一日1万歩が目標だ。そこまで行かなくてもポイントは稼げる。

 

不動産にとっての緑の価値

京王電鉄の株主になっている関係で毎年決算報告、営業報告書が送られてくる。営業報告書によると2014年度の連結営業収益は4080億円、連結当期利益は172億円だった。営業利益は連結で344億円。セグメント別に見ると運輸業122億円、不動産業96億円、レジャー、サービス業56億円、流通業48億円、その他22億円となっている。営業利益利益率で見ると運輸業9.6%、不動産業26%、レジャー・サービス業 8%、流通業3%、その他4%、となっている。ここで目立つのは不動産業の営業利益率の高さだ。ある中堅の建設会社の場合でも不動産業が利益の大半を稼ぎ出している。日本の企業の中で不動産事業部門が程度の差はあるだろうが、収益部門として重要性を増しているように感じられるが、懸念も同時にある。日本企業は右へ倣え、という経営行動パターンを持っている。他社が不動産で稼いでいるなら、ウチもやろう、ということになる。今後賃貸収入、安定的な利益の確保を狙って各社が不動産事業に力を入れていくと、いずれ供給過剰問題が起るだろう。都市に住む人々は高齢化し、人口は減少していく。外資企業もかつてほど日本にやってくることはないだろう。中・長期的に見れば稼働率の高い不動産物件は限られていくのではないか。その意味でも従来の不動産物件の条件だけでは「テナントに選ばれない」というケースも増えてくる。国際的なビルの認証制度LEEDなどもこのあたりを狙っているのではないか。ビルの環境性能は特に外資系では重要な選定基準となる。三菱地所が丸の内仲通りの緑化を進めている。有楽町駅から神田駅近くの鎌倉橋迄、緑のベルトがつながり始めている。不動産に「緑」はどのような価値を与えることになるのか、興味深い取り組みだ。

 

「決意」についての考察

ジェームズ・アレン氏の著書を最初に読んだのは「考えるヒント」だった。実務的で平易な文章が印象的だった。アレン氏は父親の突然の死で15歳で学校をやめて著述に専念する決意を固め、1902年迄経営アシスタントとして生計をたて、その後経営アシスタントとしての経験を活かして、19冊の本を書き、1912年他界した。48歳だった。その中で「考えるヒント」は聖書につぐベストセラーを言われている。私自身自分の特徴、あるいは持ち味は企画力と考えていた時期があり、その頃、思考法、アイデアの出し方、創造的考え方の関係の本を次から次へと読んだことがある。いわゆるハウツー本だ。ハウツー本の良いところはハウツーを学んで、新しいやり方を覚え気分的に高揚することができて一時的にモチベーションがあがるが、問題は実行しなかったり、実行しても長続きせず、その結果もっと良い方法はないかと新しいハウツー本を買うことになる。「考えるヒント」もその中の一冊だったが、最近「考えるヒント Ⅲ」を読み返していた時、この本の内容の重さに気がつき、確かに聖書につぐベストセラーを言われるだけのことはあると腑に落ちた。例えば、「沈思黙考」の項目。

「真の決意は、軽い思いつき、気まぐれな衝動、曖昧な願望などとは全く異なるものである。それは長く続けられた真剣な思考、長期に渡った苦闘、いまだ満たされていない熱い願望の上に築かれる」

このアレン氏の言葉の解説に「決意は、じっくりと強化されてはじめて、持続性を身につける」。私の場合、過去2年以上、毎日屋上菜園の価値と可能性について真剣に考えてきた。その結果として一般社団法人ジャパンベジタブルコミュニティの設立を多くの同志と一緒に行なうことができた。設立はあくまで始まりだ。これからやるべきことが山ほどある。またさまざまな困難も出てくることだろう。アレン氏の「沈思黙考」の次は「新しい経路」となっている。

「決意とは、従来の思考や行動の流れを別の方向に流すための新しい経路を築くことに他ならない」。その通りだと思う。

 

世的な人の聖書解釈・後事を託すリーダーの思い

ルカの福音書22章では過越しの食事(最後の晩餐)、パンと杯による新しい契約、弟子に対する王権授与、シモンのためのイエスの祈り、オリーブ山でのイエスの祈り、そしてユダの裏切り、イエスの逮捕、ペテロの裏切り・・・と大きな出来事が続く。

さてオリーブ山での祈りの前にイエスは弟子達に言う。

「それから、弟子たちに言われた。『わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。』彼らは言った。『いいえ。何もありませんでした。』そこで言われた。『しかし、今は、財布のあるものは財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。』

教会の説教ではこの剣の個所については攻撃のためではなく防御のための剣が必要であることをイエスは弟子達に諭した、と説明される。私もその解釈で間違いないと思うが、なぜ防御が必要になるのか、この世的に考えてみたいと思う。

イエスの名声が地域にあまねく広がっていた時には伝道旅行は人々の好意を受けながら順調に進んでいたことだろう。イエスの弟子として福音を伝える弟子達は行く先々で歓迎され、食事を提供され、また無料で宿泊することもできたはずだ。身の危険を感じることもなかったと思われる。しかし今やイエスに対する民衆の期待が失望に変り始め、神を冒涜した罪でイエスを逮捕しようとしている。民衆がイエスに求めたのは「罪人の救い」よりもイスラエルをローマ帝国の圧制から解放してくれる政治的指導者であり、現実的な政治的独立であった。弟子達にもそのような思いが根強くあった。

病気を治し、悪霊を追い払い、さらには死者を生き返らせる。5千人の食事を用意するなどの奇跡を起こすイエスに、イザヤ、エリヤなどの預言者を越えるまさに超人的な能力を目の当たりにした民衆。その民衆が「今度こそ」という気持ちでイエスにイスラエル王国の再興を期待したのは当然の成り行きだった。しかし、再興されるイスラエル王国で重要な地位に着くことを願っていたと思われる現実主義者のユダにとって「話が違う」というような展開になっていた。失望は落胆さらには怒りにさえなっていったと思われる。それが裏切りを惹き起こしたのかもしれない。私はユダはイエスに口付けする時に「十二軍団よりも多くの御使い」がやってくるのを最後の最後迄期待していたように思えてならない。

さてイエスはイザヤ書を引用し、「彼は罪人たちの中の数えられた」と弟子達に告げた。

自分は罪人の一人として逮捕され、処刑される。それでも、私の弟子であるあなた方は今までと同じように伝道旅行に出て、私の福音を伝えてほしい。人々は今までのように好意的にあなた方を迎えることはないだろう。場合によっては怒りのためにあなた方を剣で傷つける者もいることだろう。しかし、それでも私の福音を伝え続けることが私の弟子としてのあなた方の務めなのだ。それをやめてはならない。困難な、それこそ生命がけの伝道旅行になる。剣で防御すると言っても相手が数人で襲い掛かってきたら防ぎようがないだろう。あなた方が持つ剣は生命掛けの伝道旅行のシンボルとして持っていきなさい。実際に剣をふるってはならない。

イエスは困難が予想される後事を託すために涙を湛えて弟子達に対し、必死の覚悟を求めた。それが二振りの剣の意味ではないか。

世的な考え方をする私の解釈である。

 

亡き人を偲ぶ

偲ぶという漢字を見ると象形文字の美しさを感じる。思いの傍らに人が立っている。

折りに触れて先に逝った人々のことを思う。その人の地上の人生は死で終ってしまったが、その人の思い出が映画のシーンのように甦ってくる。その時の言葉、表情が。

以前の私はその思い出に自分の身を置いて「回想」に耽ることがよくあった。その時の声が聞こえてくる。過去には二度と戻ることはできない。それが最後になるとはその時は気付かなかった。別れは突然やってくる。最近夢を見た。夜明け前の時刻、風と共にある人が私のところにやってきた。私は野原を見ていた。その人は私の前に座り、黙って私を見た。まっすぐ私を見ている。何も言わずに、かすかに微笑みながら私を見ている。私が何か言うのを待っているのだろうか、あるいはその人が私に何か言おうとして、相応しい言葉を選んでいるのだろうか。その人は何も言わないけれど、何かを伝えようとしている。その時、声が聞こえたような気がした。「私があなたに託した気持ちをあなたは受けとめていますか」。風のような声だった。私は思わず聞いた。「私に何を託してくださったのでしょうか」。その人は答えた。「あなたには託したことがあります」。自分には確かに何かが託されている、それを本当に知ることが「偲ぶ」ことなのかもしれない。偲ぶことはその託された思いを聞き続けるために、その思いの傍らに立ち続けること。そして自分もいつか偲ばれる立場になる。

その人を思い出す時、回想だけでなく、何かを託されている、という思いでその人を偲ぶことが多くなった。

 

燃え尽き症候群

中年期に燃え尽き症候群になる人が少なくない。私の若い友人は30代後半、もうすぐ40才になるが、「もうなってますよ」と言う。彼の話を聞いてみると、そうなっても仕方ないなと思うが、思わず「それは通過点でその先があるから」と言わずにはいられなかった。

私自身も30代半ばに燃え尽き症候群になり、うつ的状態になった。その時の辛さを今でも思い出すことができるが、今になって分ることだが、燃え尽きたのは「自我という殻」だった。それまで自分を閉じ込め、視野を狭くしていた、自我意識だったように思う。とにかく当時は自分のことが気になって仕方なかった。私の場合うつ状態は2年間ほど続いたが、丁度その頃、海外に勤務する話が持ち上がり、結局東南アジアの国に駐在することになった。私にとってこれは一つの転機になった。東南アジアの人々と付き合うようになって彼らの楽観的な生き方から学ぶことが多くあった。

そして帰国してから、運命の導きで小企業を経営することになった。経営者としての能力不足に悩み、それに個人的出来事も加わり、前回以上の燃え尽き症候群に陥った。今回の燃え尽き症候群は深刻だった。自分という存在自体が焼き尽くされたように感じた。死にたいと思ったことも度々あった。

それから自分という人間の存在を問い続ける人生の旅が続いた。そして現在、生きることに積極的意味さえも感じながら生きている。どこでどのように変ったのかは自分自身でさえ、はっきりは分からないし、説明もできない。

ただ一つ言えることは、余計なことは考えずに「ただ生きること」ではないかと思う。そう思えた時、何かから自由になれた気がした。と同時に本来の自分が遅ればせながらやってきた。今にして思うのは、焼きつくされるべきものは焼かれればいい。その中で火に精錬されたものが生まれてくる。

燃え尽きることは辛いことである。しかしその紅蓮の火の中で精錬される金があることを私は自分の人生から学んだ。

 

KANA「泣かせてヨコハマ」

 KANAさんの新曲「泣かせてヨコハマ」がいい。この歌は「永遠の月」のカップリング曲だが、聞いていてとても軽快な感じがする。そして悲しい。ひょっとすると「永遠の月」だけではなく、この「泣かせてヨコハマ」もヒットするのではないか。この歌を仕事の合間に気分転換で聞いている。カラオケの画面も出てくるので、試しに歌ってみたが上手く歌えない。KANAさんが軽快な感じに歌っているので、歌いやすいのではと錯覚したが、実際は難しい歌なのかもしれない。KANAさんの歌唱力がこの歌の魅力を醸しだしているようだ。さて最近好んで聞くのは「物語」のような歌だ。例えば、アサミチユキの「鮨屋で・・・」杉本まさとの「吾亦紅」。「物語」の歌の歌詞にはフックのような言葉が織り込まれている。「鮨屋で・・・」には「誰に似たのかお酒呑みです」、「吾亦紅」では「見せない心の傷」。「泣かせてヨコハマ」では何だろうか。聞きながら考えるともなく考えている。

 

ラーメンから蕎麦へ

若い頃はラーメンが好きだった。いや最近迄ラーメンを良く食べたが、最近はあまり食べたいとは思わなくなっている。なぜだろうか。齢を取るにつれて中華料理よりも、洋食よりも和食を選ぶ傾向が強くなってきているのを感じる。食事の時、最初に箸が行くのは豆腐、それからもしあれば味噌汁。肉はあれば食べるが「食べたい!」とは思わない。肉よりも魚を食べたい。魚は特にイワシ、アジ、サバなどの青魚。

蕎麦が好きだが、最近は蕎麦がきを時々食べる。蕎麦がきの美味しさに嵌っている。子供の頃、良く食べたが、その時はそれほど美味しいとは思わなかった。父がアルミの鍋に蕎麦粉を入れて、ヤカンから熱湯を掛けまわして箸でかき回して蕎麦がきをつくった。私は鍋が動かないように取っ手を持って抑えていた。蕎麦がきはアツアツでネギを刻んだ醤油にちょっとつけて食べると美味しいが、冷めてしまうと味が落ちる。子供の頃、父は蕎麦がきが好物だったが、私はそうでもなかった。

最近近くの蕎麦屋で有機栽培で石臼でひいた蕎麦と蕎麦がきを食べて、久しく食べていなかった蕎麦がきの美味しさに目覚めた。また父のことも思い出した。蕎麦の歴史によれば蕎麦がきから現在食べているような麺としての蕎麦になっていったようだ。

自分の畑で栽培し、収穫した野菜・果樹を食べる。野菜は主に青魚。料理は和食中心。この傾向は今後更に強くなっていくのではないか。

 

今さえ良ければいい

最近友人のK君が「今さえ良ければいい」と言うのを聞いた。彼はそんな刹那主義的なことを言う男ではなかった。いつも将来のことを考え、計画的に物事を進めるタイプと私は見ていたので、「アレッ?」と思って彼に尋ねた。

私「『今さえ良ければいい』というのはどういうこと?」

K「70歳を過ぎた頃から、そう思うようになった。友人、知人が周囲で次々と亡くなっていく。最近迄元気だった奴までがある日突然幽明境を異にする。人生の儚さを感じるね。僕もある日突然ということがリアリティを持ち始めたんだ」

私「確かに僕たちの齢頃になるとそうだ。訃報に接すると、まだ若いのに、と思う」

K「訃報が段々増えてくる。ところでキミは自分のことをどんな風に考えている?」

私「僕は随分勝手な考えかもしれないが、自分は長生きしなければいけない、と思っている。僕を可愛がってくれた海外駐在時代の上司2人が60代台前半で亡くなっているし。それに・・・」

K「そういえばキミの場合は別の理由もあったね。」

私「そうなんだ。・・・まあ自分のことはとにかくとして、話を元に戻すとK君は『今さえ良ければいい』と思うようになって、自分の中で何か変ったことがある?」

K「僕の場合、『今さえ良ければいい』というのは刹那主義ではないんだ。今を大切に、丁寧に生きたい、それに自分の欲望といってはなんだけれど、やっぱりやってみたいことは余り我慢せずにやってみたい。将来のことを心配してもキリがないし、そのために心身のエネルギーを消耗したくない。エネルギーの備蓄も限りがあることだし。そうそう最近思うところがあってエンディングノートを書いた。書き終わった後、自分の人生はこんなものだったんだと思った。こんな風にしか生きられなかった、と。でもそれでも生き抜いてきた。・・・自分を労い、褒めてあげたい気持ちもどこかにある」

私「僕もエンディングノートをつけ初めている。過去は事実だ。でも未来はどうなるか、分からない。最近僕はやっと自分らしい人生を生きている、と感じている。もっと早くそんな境地になれたら良かったんだろうが、それも自分の器量だと思う。大器ではないが、晩成型なんだろうな。小器でも晩成のチャンスはあると思いたい」

K「そういえば最近のキミを見ているともう一度「青春」をしているようだ」

私「ありがとう。そう見ていてくれるのは嬉しいね。これからの3年間が自分の人生の中で2回目の青春時代だと感じているんだ。悲しいことがあっても辛いことがあっても心の真ん中でワクワクしていられる、そういう月日を持ちたいね」

K「第二の青春は賞味期限が3年間?そういう気持はこの齢にならないと出てこない人生の

「コク」のようなものかもしれないね。「キレ」はもう無いけど。僕が言う「今さえ良ければいい」というのは「今が良ければいい」いや「今を最高の時にする」と言い換えた方がいいようだ」

私「平凡でも人生の味、大人の味がやっと分ってきた・・・と言ったら言い過ぎかな」

K「いいね~。お楽しみはこれからだ、と言うフレーズがあるけど、お楽しみは今だ、でいこうか」

私「お楽しみは今だ、前向きの刹那主義、万歳・・・だね」

私とK君は飯田橋のガード下の行き付けの居酒屋で思わず祝杯を上げた。「我らの人生に祝福あれ!」

若い店主が「お2人とも元気ですね」。にっこり笑って声をかけてくれた。

 

リーダー待望と新しいリーダー像

組織の大小は別にしてリーダーになるということは大変なことだ。リーダーの役割はどこに向うのか、目標を明確にして、さまざまな問題、予期せぬ障害を乗り越えて集団を率いていくとところにある。現在の北米インディアン、南米インディアンはアジア大陸にいた人々がベーリング海峡を渡って現在のアラスカから、北米アメリカ、南米アメリカに下って、そして広がって行ったと言われている。数千キロに及ぶ旅路を導いたモチベーションは一体何だったのだろうか。この人々の中には「Braveman」(勇敢な戦士)と呼ばれる人々がいた。何が待ち受けているか分からない未踏の地に道をつけ、人々を目標に向って安全に歩かせる役割を持っていた。氷に閉ざされていたアジアからアラスカへの道は困難を極めたことであろう。イスラエル民族をエジプトから脱出させるために海を分けて進ませ、追ってきたエジプトの軍隊を海に沈ませたモーセには神の偉大な力があったが、「Braveman」達は自力で進んでいった。その中には命を落とした者もいたことだろう。

さて最近聞くことだが、若い人達の間でリーダーになりたがらない人が増えているらしい。リーダーには責任が伴うこと、あるいはリーダーになること、リーダーであることのメリットが感じられないなどがその理由のようだ。分るような気がする。

リーダーの条件とは役割について書かれた本を読むと、そこには理想的なリーダー像が描かれていて、一部であれば自分にもあるかもしれない、できるかもしれないと思うが、全ての条件を満たしたリーダーにはとてもなれない、欠点の多い自分にはリーダーの役割はとても果たせないと思わざるをえない。

これからの時代、リーダー像にも大きな転換が求められているように思う。複雑で不透明な時代になっている。先が見えない。どこにどんなリスクが潜んでいるか、分からない。

不安な時代でもある。その意味でこれからのリーダー像を考える上での1つのポイントに触れてみたい。他にもまだポイントはあると思うが一番大事なポイントは以下ではないか。

 

ベストシナリオにこだわりすぎない。ベストシナリオを一つに絞らず、必ずいくつかの選択肢を用意し、状況変化の中でシナリオを修正、発展させていく。

「これがベストシナリオだ」と決めてかかってメンバーを「オレについてこい」という形で従わせるのではなく、複数の選択肢をメンバーと一緒に考え、状況変化を観察する視点も複数持ってメンバーと共有していくリーダーシップが求められているのではないか。そうでないと修正した場合「ブレている」と批判を受けることになるだろう。ベストシナリオ主義は独走、独裁を産み出しかねない。メンバーの多様性を重んじるという意味では非ベストシナリオ主義は「民主的」とも言える。それは同時に効率、スピードから本当の意味での効果・成果、本当の意味での一体感への発想の転換でもある。効率一辺倒ではいずれ壁にぶつかる。スピード重視ではいずれ躓く。

効率重視から価値重視の時代に変ってきている。リーダー像も変っていかざるを得ない。