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屋上菜園物語Ⅱ 第26話 「輝くリアリティを」
秋川進は今年3月で長年勤めた製薬会社を定年退職した。まずは健康維持のために近くのフィットネスセンターに通い始めた。そして3ヶ月。家で昼食後、一休みしてからセンターに行き、指導員のアドバイスを受けながらいくつかの運動メニューをこなして、帰宅する。
秋川のマンションは武蔵野線の沿線の駅に近いところにある。秋川の住居は10階だ。育代は仕事で外出して帰宅するのは7時半頃だ。二人に子供はいない。
秋川は帰宅して住居の鍵を開けて、自分の部屋に入り窓を開けた。丁度西空が夕焼けに染まっていた。太陽が輝きながら音もなく沈んでいく。
秋川は暫く太陽が沈む迄夕焼けを見ていた。ビジネスマン時代はこんな風に夕焼けを見ることはなかった。なんとも言えない寂しさが胸の中に広がってきた。表現しようのない寂しさなのだ。このような寂しさ、虚しさはビジネスマン時代には感じたことがなかった。いつも仕事のことを考えていた。今迄自分の心の中心を占めていた仕事が無くなった後、ポッカリと穴が開いたように感じていたが、その穴が段々大きくなってきている。その穴を何で埋めたら良いのか今のところはまだメドがたっていない。
夕焼けの下に秩父の山々がシルエットになって見える。15年ほど前、仲間と一緒にハイキングに行ったことを思い出した。そのうち2人の友は既に他界している。夕焼けを見ながら、秋川は胸の中で友の名前を呼んだ。「小野・・・、古西・・・」
その晩、秋川は友人の岡部に電話をした。岡部からは「どうしようもなく寂しくなったら一人で抱え込まずに電話してくれ。いつでもOKだ。自分もそうする」と言われていた。
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秋川「秋川です。今大丈夫?・・・良かった。少し話したいことがあるんだ。最近なぜか虚しさ、寂しさを感じることが多いんだ。特に夕方から夜にかけてそんな気持ちになる」
岡部「電話をかけてくれてありがとう。退職して3ヶ月経ったんだね。身体の方は大丈夫かい?・・・それは良かった。ところで虚しさ、寂しさを感じる時、秋川はそれを否定的に考えているかい、あるいは肯定的に考えているかい」
秋川「やはり否定的に受け止めていると思う。できたらこんな気持ちにはなりたくないと」
岡部「否定的に受け止めているんだ。それが自然なんだと思うけど、虚しさ、寂しさの中に何か肯定的なことがないだろうか。光のようなものが」
秋川「そこまで考えたことはなかったけど、そういう考え方があるんだ」
岡部「自分もなかなかそういう考え方ができなかったけど、最近努めて否定的なことの中に肯定的なことを、逆に肯定的なことの中に否定的なことを見出すように心がけているんだ。一種のバランス感覚かな」
秋川「そういえば寂しさ、孤独を感じるようになって、やっと自分の人生の意味を考えるようになったように思う。今迄仕事中心の毎日だったし、人生だったから。ある意味で自分の人生の意味を考える時間も無かった」
岡部「自分もそうだった。定年退職して否応なく自分の人生の意味を考えるようになった。大きな会社で部長にまでなった君と違って俺は大して出世もしなかった。部下のいない課長どまりだった。頭の回転も遅くて、仕事をしていくうえで大きなハンディキャップになっていた。仕事に取り組む際の理解力というか、呑み込みに時間がかかった。自己嫌悪と自己憐憫を繰り返していたよ」
秋川「そんな風には見えなかったけど・・・それで今はどんな気持ちでいるの?」
岡部「今は自分の欠点、弱さの中に敢えて肯定的なこと、良い部分を見つけるようにしている。それがやっとできるようになった。欠点、弱さを抱えている自分を愛せるようになってきたんだ。そんな自分を愛せるようになって初めて他の人も本当の意味で愛せるような気持ちになってきた。それも深いところで」
秋川「自分を愛せるか・・・。自分にも欠点、弱さがある。今度会った時、そのあたりの話もしたいね。岡部、君はぼくの人生の友だ。これからの人生、一緒に歩いていってほしい」
岡部「秋川、君は俺の人生の友だ。天国に行くまでこの地上の旅路を一緒に歩いていこう。これからが人生の完成期に入っていく大切な年月になる」
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秋川は帰宅した妻と一緒に夕食を取りながら、思わず言った。「結婚してから今迄一緒に生活し、人生を共にしてくれたことに感謝しています」。育代はちょっとびっくりした表情になったが、少し茶化すように「こちらこそ十分なことはできませんでしたが、これからもよろしくお願いします。」そして話を続けた。「今度ウチの会社で室内緑化が始まったの。やっぱり緑があると気分がいいわ。私たちの居間にも鉢植えの観葉植物とかハーブとか多肉植物を置くことにしない。ハーブとか多肉植物ならあまり虫の心配もないし」
育代は携帯電話で撮った事務所の写真を見せてくれた。本格的な室内緑化だった。そしてもう一つ。育代の会社は外資系で社員のウエルビーイングにも力を入れている。仕事をしながら「幸せ」を感じる。ワクワクする、自分たちにしか出来ないことをやっている、実際に実現する。「企業も変わりつつある」秋川は心の中で呟いた。「これから時代は大きく変わっていくのだろう」
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土曜日の午後、家で昼食を食べた後、秋川と育代は近くのホームセンターに行った。徒歩15分のところにある。向かったのは園芸店だった。人だかりになっていた。店員が若い男性のお客の質問に応えている。「今テレワークで仕事をしているので、デスクの横に観葉植物を置いて気分転換をしたい。何かおススメの観葉植物はありませんか」
店員「それならまずガジュマルから始めてみたらいかがでしょうか。沖縄産です。植物ですから窓際にできるだけ置いてください。水やりは土の表面が乾いた時です。そして霧吹きは1週間に1回やってください。そうすれば葉についた室内のホコリや虫を洗い流すことができます。」
秋川と育代は店員と相談して居間用にフィカス・ウンベラータ、食堂用にはフィロデンドロン‘パーキン’とパキラとガジュマルを購入した。
今迄気が付かなかったがこのホームセンターの屋上にはこの園芸店が運営している貸し出し菜園がある。2区画空いたので募集をしているところだ。1区画、月3000円、栽培指導付き、とのこと。面積は90cmx180cm。締め切りは今週末の日曜日。今なら夏野菜の栽培に間に合う。店員に聞いたところ、まだ2区画とも空いているとのこと。「やってみない。お父さんにとっていい気分転換になると思うわ。」決める前に屋上菜園を見せてほしいと店員に頼むと他の店員がすぐに案内してくれた。屋上のフェンスの囲いの中に20区画の菜園がある。屋上は見晴らしがいい。360度見渡せる。それだけでも気持ちがスッキリする。
育代が言う。「お父さんも気分転換を兼ねて少し土いじりした方がいいわ。このくらいの面積なら、作業時間は30分もあれば十分よ。散歩がてら来て農作業をする。農作業をすると幸せホルモンも出てくるというし、借りてみない?借りましょうよ」
育代に押し切られる形で1区画を借りることにした。育代が強く勧めたのには理由があった。育代が気になっているのは最近夫の笑顔が少なくなっていることだった。元々表情の豊かなタイプではないが、最近は少し塞ぎ込んでいるようだ。元気になってほしい、そんな気持ちだった。屋上菜園の利用者申し込み用紙をもらって帰宅した。明日判を押して持っていくことにした。
秋川は退職後自分なりに一日の過ごし方を決めていた。まずは健康だ。朝はテレビ体操をして、朝食後は出社する育代を見送った後、散歩に出かける。1時間程度。一息入れた後、近くのフィットネスセンターに行き、お昼まで運動メニューに従って筋肉を動かす。帰宅後、育代が用意した昼食を食べ、午後は少し仮眠した後、読書。会社に行ってた時はなかなか時間が取れなくて、買ったけれど読めないまま積読の本が多くあった。夕方まで読書三昧。育代から夕食のメニューを受け取っているのでそれに基づいて夕食づくり。
最初は慣れなかったが、今では10メニューぐらいなら作れるようになった。今は新型コロナウイルス問題で育代は月、水、金と週3回出社。育代の出社日は秋川が夕食をつくることになっていた。
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今晩は秋川が夕食をつくる日だ。麻婆豆腐をつくりながら、電気釜のスイッチを入れる。育代は6時半に帰宅した。一緒に食卓のテーブルにご飯、麻婆豆腐、サトイモのフライ、キュウリの味噌漬け、ポテトとレタスとバジルのサラダのお皿を並べて夕食。今晩の話題は貸し出し菜園で何を栽培するか。
育代が言う。「夏野菜の定番というと、ミニトマト、ナス、キュウリ、それにピーマン、小玉スイカ、ゴーヤ、といったところかしら」育代は嬉しそうだ。今迄夕食の時の話題は少なかったがこれからは野菜づくりで夫と話しができる。「それから観葉植物は明日の午後1時~3時に届くわ。私たちの生活にこれから緑がふえていく。楽しみ~」
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秋川は1週間ぶりに夕食の後、岡部に電話をした。今日は話が少し長くなりそうだ。
秋川「秋川です。今いいですか。・・・実は今後近くのホームセンターの屋上にある菜園を家内のススメもあり、借りることになったんだ。・・・屋上だから、90cmx180cmの面積の小さな菜園なんだ。栽培指導付きということなので教えてもらいながら、これから 野菜を育てていくよ」
岡部「それは良かった。自分も市民農園を借りて野菜を栽培している。60歳台から農作業を始めればボケ防止にもなる。野菜の成長する姿を見ながら、気付かされることがある。まずは野菜と向き合いながら栽培作業をしてほしいね。最近アグリヒーリングが注目されている。農作業による癒し効果だ。秋川もきっと癒し効果を経験すると思う。自分も会社を退職した後、本格的に農作業を始めたんだ。畑は変わったがあれからもう15年になる。俺は神経質で気の小さい人間だからもし農作業をやっていなければ恐らくうつ病になっていたんじゃないかな。下手すると生きていなかったかもしれない。農作業で救われたと思っている。ところでどんな野菜を栽培するの?」
秋川「まずミニトマト、それからナス、ピーマン、ハーブではバジル。こんなところからスタートしてみる」
岡部「最近はテレビでも野菜栽培の番組があるから、それも参考にするといい。それから野菜の有機的栽培の本もあるから、それを基本テキストにして栽培の仕方を勉強ししてください。これからは秋川と野菜の話もできる。嬉しいね。定年退職後は人との関係を見直し、これからの人生を一緒に歩める友を持つことに加え、自然に触れ、自然の中で生きることが大事だと思う。自然の中で生きるキッカケが必要だけど、野菜は身近で触れる自然としてはちょうどいいね。これからは日々の日常生活にリアリティを感じながら生きることが大切になってくるし、そこに生きがいも生まれてくる。対象との関係性がリアリティの程度を決めていくと最近気付かされた。リアリティは自分らしく生きる喜びと責任かな」
秋川「リアリティ・・・そうなんだ。最近悩んでいたことは毎日の生活に生きているという実感が乏しくなっているんだ。それが精神的にとても辛いね」
岡部「仕事から解放されて、日々の生活と向き合い、自分と家族に向き合い、自然と向き合っていく・・・。秋川にとってリアリティが輝く日々が始まっているんだよ」
(第26話 了)
地方創生と道州制について
地方再生を巡る議論をする場合、江戸時代の300藩体制が参考になる。加賀百万石のような大藩もあれば、1万石の小藩もあった。原則は10割自治と徳川幕府への絶対的服従であった。地方は現代のように地方交付金を受ける側ではなく、普請などで負担する側に立たされていた。当然財政事情は厳しくなる。他の藩に頼ることはできない。自力更生で各藩は生き抜いていくことを要求された。そのため米を初めとした農産物の増産、特産品の開発、人材の育成に力を注いだ。しかし全ての藩がこの課題をクリアーできた訳ではなく、行き詰まって潰れた藩もあった。分割して統治せよ、のある意味では極端なケースかもしれない。30藩ではなく300藩なのだ。経済的合理性という点からは余りに細かく分けすぎることは問題かもしれない。さてもう一つ、参考になるのはドイツだ。ドイツは領邦国家の集合体という歴史的な流れの中でいわば「地方分権」国家として現在に到る。分権型国家は一極集中型の国家に比べ、危機からの復元力が相対的に高いと言われる。その理由をきちんと解明する必要があるが、現在の日本は一極集中型国家だ。江戸時代、ドイツの現在の国家としてのあり方も参考にしつつ日本のこれからの国家のあり方そのもののモデルをつくる歴史的段階に来ている。明治維新国家のモデルは制度疲労を迎えている。まさに国家百年の大計だ。ポイントは成熟した先進国として持続可能な国家になることではないか。道州制なども議論のテーブルに上がっているが、基本は地方が本来的意味で「主体性」を持つことにあるように私には思われる。
私は青空
鎌倉一法庵住職の山下良道師がNHKEテレのこころの時代に出ていた。師は30年の求道の結果、青空に辿りついた。師言う。青空。それが私です。私の本質です。私たちのいろいろな思いは、雲のようなものでしかありません。どれほど誰かへの怒りや憎しみにとらわれ、苦しんでいるとしても、その怒りも憎しみも、みな青空に浮かぶ黒雲でしかないのです」。師は私は青空のようなものです、ではなく私イコール青空と言い切っているところに、私は師の確信の強さを感じる。伊豆半島の南端に住み、農作業をしている牧師が「私は小松菜のように人に繰り返し役に立つものになりたい」と言っているが、これは自分の目標存在として小松菜をあげているのであり、私イコール小松菜ではない。私は青空としての私の発見の経緯をテレビで見ていたが、正直分かるような気もするし、一方で青空というのは大気の水分が太陽の光でつくりだすもので、完全に物質的なもののような気もする。それが私、というのはどういうことだろうか、という疑問も感じる。ということで、一昨日師の新書版「青空としてのわたし」を買って、読み始めている。読了する時には、この疑問は消えているだろうか。また師は仏教にはアップデートが必要であり、それを仏教3・0と表現している。この本を読みながら桂銀淑のヒット曲「すずめの涙」の歌詞の一節「私だけ飛べる青空を持っている人ならば」を思い出した。どこか通じるところがあるような気がする。ところで私は自分の本質を山下師のように「○○。それが私です。私の本質です」と言い切れるものがない。ここ暫くは青空を見ながら思索の日々が続きそうだ。
帰り道・家路
以前「帰り道」という短編小説を構想したことがあった。きっかけは深夜、私の家の前を歩く人々の足音だった。私の家は最寄駅から徒歩で10分ぐらいの距離にある。家の前の道を歩いて帰宅する人の足音がフトンの中で寝ている私の耳元に響いてくる。足音が近づいてきて、そして遠ざかっていく。私はフトンの中で、「どんな気持で家路についているのだろう」と想像した。深夜だ。疲れていることだろう。良い一日だったのだろうか、あるいは・・・。
私自身の事を振り返ってみると若い、結婚したての頃小田急線の玉川学園前から10分ぐらいのアパートに住んでいた。勤めていた会社は浜松町にあった。当時は高度成長期で皆遅くまで残業していた。帰宅は大体深夜の12時を過ぎていた。玉川学園の駅を降りて坂道を登りながら2階建てアパートの2階のわが家に帰っていった。
家に帰っても仕事の事が気になって頭から離れなかった。毎晩遅くまで仕事をしていると肉体的にも精神的にも疲れが溜まってきて、注意力と集中力が落ちてくるのは避けられないところだ。当時私は海外向け鉄鋼製品の輸出を担当していたので、毎日海外支店の担当者に見積、オファーを作成し、テレックスで送っていた。アクセプトされれば契約成立だ。だから見積間違いがないか、条件設定に不備がなかったか、要するにどこかでチェックミスを犯していないか、気になっていた。だから私の場合、帰り道はまだ仕事と一緒だった。「今日も無事仕事が終った」というような軽やかな気持ちではなかった。深夜の住宅街を歩く私の足音をもし誰かかが聞いていたら、何か重そうな足取りだな、と思ったことだろう。また接待で、あるいは同僚と飲んで帰ることもしばしばあった。その時の足音はどんな感じだっただろうか。辛い、悲しい思いを抱えて家路を辿ったことも再々あった。一方嬉しいことがあり、そのことを家内に早く伝えたくて家路を急いだこともあった。
深夜、家の前を人が足音を響かせて歩いている。ある時、気になる足音があり、思わず2階の物干し場に出て、その人の後ろ姿を見送ったことがある。足音を聞きながら、昔の自分の足音を聞いているような錯覚に襲われることもある。深夜の足音はなぜか胸の奥まで響いてくる。
屋上菜園 新しい楽しみ方と価値共有
屋上菜園ガーデンの楽しみ方は野菜栽培だけには留まらないのではないか、というのが最近の私の考えだ。楽しみ方には3つのレイヤー(層)がある。まず一番基礎になる野菜栽培のレイヤー。このレイヤーでは自分で野菜を栽培して収穫する。自分でトマト、イチゴ、ピーマン、スイカなどを栽培できたら嬉しいものだ。自分の家だけで食べきれない時はご近所にお裾分けすることもできる。その上の2番目のレイヤーは料理会、食事会だ。栽培仲間と自分達が育てた野菜を使った料理を一緒に食べるのは又格別だ。このレイヤーではいろいろな企画が立てられるだろう。例えば「マとキッズの料理会」。供達がお母さんの料理を手伝う。料理専門家のアドバイスなどもあれば更に盛り上がることだろう。あるいはシニアの皆さんの料理と歌の宴会も楽しそうだ。今年4月からの千代田高齢者センターでは年間3回、屋上で皆さんが栽培した野菜を使った食事会を開催することになった。一番上のレイヤーはイベント、祭、行事となる。今年、当社ではそれぞれのレイヤーの専門家とタイアップして、この3つのレイヤーの企画の具体化と定期的活動の実施を計画している。屋上菜園ガーデンだからこそできる新しい楽しみ方と価値共有を推進していくつもりだ。