第二の故郷物語 第3話 「ワ―ケーションは入り口」
野崎俊介は山梨県のT町に向かっていた。新宿から中央線の特急に乗り、甲府で身延線に乗り換え、Y駅で降りる。自宅からの所要時間は3時間半。両側から南アルプスの山々が迫ってくる。
もうすぐ駅に着くというアナウンスがあった。
滞在場所はT町のワ―ケーション施設だ。宿泊は提携している民宿だ。今回は会社が社員を対象に実施しているワ―ケーション制度を利用しての旅行だ。滞在期間は1週間。一年に4回利用することができ、費用は会社の福利厚生費から全額出る。ワ―ケーション施設は関東近県にある提携施設の中から自由に選ぶことができる。野崎が勤めている会社は神田にある広告宣伝媒体を扱っている会社だ。給料は出来高払いも含めると良い方だと思うが、会社の福利厚生活動といったものは全くと言っていいほど無かった。それは社員が自分で好きなようにすればいい、という考えがトップにあったようだ。ところが最近、会社の同僚が他の会社に転職するという事態が相次いだ。結局3人が辞めていった。
3人とも優秀な社員だった。慌てたトップは経営会議を開いて若手・中堅社員の引き留め策を講じた。その中の一つがワ―ケーション制度だった。
ワ―ケーションでは自分の勤務時間は本人の判断に任される。今回会社から求められていることは1本の企画書をまとめることだけだ。野崎が今回上司と相談して決めたテーマは「地域資源の活用・スーパーフード農園の支援」だった。
今迄T町のスーパーフード農園の経営者伊東さんとメールで打ち合わせを重ねてきた。
今回の出張は企画内容の最終的な詰めと実行案の作成にあった。
野崎は今回のワ―ケーションでは以下のような計画を立てた。
まず企画書をベースに、着いた日の翌日、月曜日から水曜日まで伊東さんと一日、徹底的に打ち合わせをする。午前8時から午後3時迄ワ―ケーション用の事務所になっているログハウスでミーティングを行う。昼食は地元の食堂の出前。後の2日間は企画書の最終的完成に専念する。金曜日にもう一度伊東さんに会って企画書の完成案を説明し、アドバイスを頂く。
5日間の昼食はログハウスのカフェで出前ランチ、午後3時迄仕事を終えて、それ以降は最初の日は別としてウエルネスタイム。ウエルネスのプログラムとその場所が用意されている。ワ―ケーションの滞在者は無料で、自由に使える。
ログハウス周辺の森の中の道を散歩し、木々の間にヒノキチップがカーペットのように敷かれた場所があるとのこと。そこで寝ころび自然の中にいることを実感する。そして樹に触れ対話をする。大空を流れる雲に向かって今自分が思っていることを叫ぶ。夜は民宿で夕食の後囲炉裏端で地元の若い人たちと懇談の時を持つ。その後で自分の部屋に戻り、窓を開けて煌めく星座を見た後瞑想。大宇宙の中で生きている自分を確かめる。最後は民宿の温泉の湯で身体もこころを癒す。
T町ではワ―ケーションを楽しんでいる若い男性と女性のそれぞれの動画を製作してネットにアップしている。20分間程度の動画だが、十分雰囲気が伝わってくる。
おおよそ以上のような滞在計画を立てた。計画しているだけワクワクしてきた。
もう一つアグリヒーリングのプログラムと場所も用意されている。地元の畑と田んぼでの農作業だ。今回は見学だけにして、実際に作業するのは次回にした。
アグリヒーリングの動画も作成されている。皆楽しそうだ。
*
Y駅で電車を降りたら、伊東さんがプラットフォームで、待っていた。Y駅は
無人駅だ。
伊東「遠いところまでわざわざ来てくださりありがとうございます。これから1週間よろしくお願いします。」
野崎「こちらこそよろしくお願いします。何か空気が違いますね。元気になれそうです」
伊東は野崎を予約している民宿に車で連れていってくれた。
伊東「それでは明日8時にロッジに伺います」
野崎「これから1週間お世話になります」
民宿は山の傾斜面に建っている。
夕食迄1時間ほどあったので、民宿のご主人の大森さんに断って散歩に出かけた。
富士川に流れ込む川の傍を歩く。夕方の霧が山から降りてきている。未だ初秋の時期だがヒンヤリとしている。俊介は思わず山の頂の方に目を向けたが、ボンヤリしていてはっきりとは見えない。道が川の近くになると水音が強く聞こえてきた。かなり急な流れだ。都会では川の水音を聞く機会が少ない、いやほとんどないかもしれない。赤とんぼが俊介の前を飛び去り、薄の方に向かっていった。
俊介はその時、自分が東京の喧騒を離れて人影の殆どない自然の中にいることを実感した。歩いていくと向こうの方で煙が流れているのが見える。近づいて見ると人がいる。中年の男性と女性だ。何か作業をしている。
野崎「何をしているんですか」
男性「竹を燃やして竹炭と竹酢液を作っているんです。最近このあたりの山も竹が多くなってきて、困っています。竹が増えると木が育ちにくくなって山が荒れていきます。竹炭と竹酢液を作って販売すれば竹の伐採費用ぐらいは出ると考えてやっているんです」
その時野崎はワ―ケーションの時間の後、もし手伝えたら竹を燃やす作業を手伝えるかもしれないと思った。その後川に沿って道を歩いていくと富士川に出た。身延線の電車からも見えたが大きな川だ。立ち止まってしばらく富士川の流れを見ていた。富士川は富士山の西側を回りこむようにして流れ、駿河湾に注いでいる。野崎は改めて上流に視線を送り、そして下流へと視線を廻した。
「この地域の人々は昔から山の中で富士川と生活を共にしているんだ」思わず呟いた。
ここまで歩いてくるのに20分かかった。帰りは登り道なので、時間が余分にかかるはずだ。引き返して民宿に戻ることにした。民宿の夕食は地元さんの食材を使ったものだった。大きな食堂での夕食。メニューは豚肉の生姜焼き、ナスとオクラの天ぷら、玉ねぎとジャガイモの味噌汁、そして野菜サラダ。食後はコーヒーと民宿の女将さんが作ったショートケーキを囲炉裏の方に移動して頂く。今日ここの民宿に泊まるのは一組の高齢者夫婦とどこかの建設会社の社員一人。どこかに現場があるようだ。囲炉裏には民宿のご主人、女将さんに加えて地元の若い男性が加わっていた。それぞれ簡単に自己紹介。高齢者ご夫婦はこの民宿によく泊まりに来ているとのこと。
「ここは私の故郷、北海道の北見に風景がよく似ているので。北見はやはり遠いのでなかなかいけませんから近場ということでここには年4回ぐらい、毎年来ています」高齢者のご主人がそう話してくれた。建設会社の社員はこの地域で始まったバイオマス発電のプロジェクトの準備で来ているとのことだった。野崎は東京の広告会社の社員で今回はワ―ケーションの関係で1週間ほど滞在すると自己紹介した。高齢者ご夫婦のご主人から「ワ―ケーションって何ですか」と聞かれたので、野崎は「仕事をして休暇もとるという新しい勤務スタイルです」と説明した。地元の若い男性が自己紹介をした。「私はここの生まれですが、高校を出た後、地元の山梨学院大学に進み、卒業後東京のホテルに就職しました。5年前のことです。そして昨年新型コロナウイルス問題でホテルがリストラした際、私もその中に入っていました。リストラされてから東京でいろいろ仕事を探しましたが、見つかりませんでした。故郷でワ―ケーションのプロジェクトが始まり、リーダーの近藤さんから声が掛かったので戻って来て、今はワ―ケーションのプロジェクトに携わっています。これから東京からワ―ケーションで私たちの町に来られるビジネスパースンの方が増えるでしょうから、その受け入れ体制づくりを担当しています。まだまだ不十分だと思いますので、ワ―ケーションで滞在される皆さんの生の声を伺いながら、皆さんが気持ち良く仕事をして、自然の中で気分転換できるよう受け入れ体制の充実を目指しているところです。昨年秋、近藤さんのサポートでフィンランドに行き、フィンランドの人々が森の生活をどのように楽しんでいるか、研修というと大げさですが、見てきました。とても参考になりました」
囲炉裏端の会話は主にこの地域の最近の状況についてだった。この町も高齢化が進み、限界集落も生まれ、人口減少が続いている。人口は1万人を切った。
民宿のご主人が皆を励ますようにこう言った。
「これから段々良くなっていくさ。野崎さんのようにワ―ケーションということで若い人がわが町に来てくれた。それもわが町の伊東さんとの共同プロジェクトを実現するために。本当にありがとうございます。」
建設会社の社員も「これからバイオマス発電事業も始まるし、活気が出てきますよ」
民宿のご主人が音頭をとり、この町の地場ワイナリーのワインで乾杯した。
風呂に入る順番を決めた。野崎は最初に入る高齢者夫婦の後になった。ここの民宿は温泉の湯を引いてきている。
野崎は一旦自分の部屋に戻り、敷いてある布団に横になった。これから1週間、有意義に過ごそう、と改めて自分に言い聞かせた。部屋から東京の自宅に電話した。妻の真理はすぐ出てきた。
俊介「今、民宿の部屋から電話をしている。落ち着いた古民家風の民宿だよ。」
真理「晩御飯は食べたんでしょ」
俊介「食べたよ。豚肉の生姜焼き、ナスとオクラの天ぷら、それに味噌汁。」
真理「民宿はどんなところにあるの?」
俊介「ちょっと山奥っぽいところだね」
真理「そう。それじゃ、これから1週間元気でね」
俊介「うん、おやすみ」
部屋の窓を開けてみると満天の星だ。まさに開けてびっくり。こんなに沢山の星を見たことは今迄の人生でなかった。明日からのワ―ケーションの予定を、シートを拡げ確認した。殆どが図式化されたシートだった。
高齢者のご夫婦から声がかかった。「お風呂、お先に使わせて頂きました。」
俊介は替えの下着を持って風呂場に向かった。風呂場は6畳ほどの広さだった。
単純硫黄温泉で加熱しているとの説明が掲示板に書かれていた。浴槽からは湯気が上がっている。身体を洗って、風呂に入った。そんなに熱くはないが、身体の芯から暖まる感じだ。俊介は長湯のタイプではないが、今晩は少しゆっくり風呂に入っていたいと思った。湯に浸かりながら今日会った人達の顔を思い浮かべていた。伊東さん、竹焼きをしていた2人、ワ―ケーションを地元で担当している若い人高梨さん、高齢者夫婦、建設会社の社員、それにこの民宿のご主人大森さんと奥さん。・・・どこからか虫の鳴き声が聞こえてくる。
風呂から上がった後毎日の日課にしている日記を書き、今日の一日を終えた。
時計は午後9時半。かなり早いが布団に横になっているうちに眠りに落ちた。
*
翌朝、俊介は夜明けとともに目を覚ました。窓が明るい。いつもは目が覚めてもすぐ起きられないが、今朝は違った。時計を見ると午前5時。すぐ立ち上がり、窓を開けた。朝の爽やかな空気が部屋に流れ込んできた。今日からワ―ケーションの活動が始まる。頭の中で今日の流れをイメージした。俊介は東京にいる時にも同じように1日の流れをイメージするようにしている。
今日は天気が良いので民宿から自転車でログハウスに向かう。午前8時ログハウスの到着。1時間、ログハウスのオフィス・スペースの自分のデスクで伊東さんとの打ち合わせの準備をする。打ち合わせのための資料はA3サイズのシートで8枚準備した。内容はほぼ図式だ。今日は一番重要な、基本的なことを伊東さんと打ち合わせる。シート1から3迄使って計画案をまとめる。昼食は町の食堂から届けてもらう。午後3時には今日の打ち合わせは終了して、伊東さんの農場を見学する。夜は民宿での夕食の後、ワ―ケーション・プロジェクトのコーディネイターの高梨さんから話を聞く。
ログハウスの管理スタッフが7時30分には来ていて、扉を開け、ポットに沸かしたお湯を入れてくれている。伊東さんが8時少し前に軽トラックで来た。コーヒーを飲んだ後、ログハウスのミーティングルームで打ち合わせを始める。
これから三日間毎日伊東さんとの打ち合わせだ。
プロジェクト名は「地域資源の活用・日本型スーパーフード農園の開設」。俊介はシート1から3迄をテーブルの上に置いて伊東さんに見せた。
シート 1:なぜ、今スーパーフードなのか 自己免疫力
シート 2:スーパーフードの種類とそれに適した地質・気候条件
シート 3:日本で栽培可能なスーパーフードの種類と栄養価 フィトケミカル
伊東さん「よくここまで図式化しましたね。ピラミッド、田の字、矢バネ、それにループと。作るのに大変だったことでしょう。これなら一緒にシートを見ながら、考えたり、アイデアを出したりできる。これはいい。ありがとうございます。」
俊介「確かにちょっと大変でしたが、不思議なことに図式化作業はやっていてなぜか楽しいんです。ただ大事なことは図式化の目的は、図を見ながら、もっと深く、もっと広く、場合によっては突拍子もないことを考えることにあります。図はあくまでも手段です。お互い図を見ながら、意見を交わし、画期的で、しかも実行可能、そしてビジネスとして十分成り立つ事業計画案をまとめていきましょう」
伊東「そういうことですね。私もこの図を見ながら知恵を絞ります。頑張りましょう。これから三日間、ワクワクしますね」
俊介「そう言って頂けるとうれしいです」
俊介は今日打ち合わせる3つの他に4から8迄のシートについても説明した。
シート4 :山梨県南部で栽培可能と思われる日本型スーパーフードの種類
シート5 :栽培方法、加工方法
シート6 :販売価格、販売チャンネルと販売方法、パートナー戦略
シート7 :事業の売上・収益計画、損失の限度額
シート8 :地域ブランド化のための方策
早速シート1の検討から入った。気がついたことをポストイットに書きつけて貼った。図の中に新しい線を引いた。2人の考えが一致したことをシートの余白に書き込んだ。熱中して話合ったり、考え込んだりしていた。そこに食堂の出前さんの声。昼食の弁当だ。既に11時半を過ぎている。あと30分打ち合わせをして12時から12時半迄ランチタイムとした。2人は午前中にシート1と2の検討を終えた。ログハウスの外のテラスの木製テーブルで昼食。
ログハウスの前に拡がる森を見ながら、俊介は伊東に話かけた。
俊介「ここのワ―ケーションプロジェクトのコーディネイターの高梨さんは森の生活を実感するためにフィンランドに行ったと聞きました」
伊東「そうなんですよ。高梨さんは現代の都会に住み、働く人達にとって森での生活がどんなに大事か実感したと言ってました。今晩会うとか。」
俊介「そうなんです。どんな話が聞けるか楽しみです」
昼食後、3時迄シート3の検討に入った。栄養価とその効果については専門機関の科学的データが不可欠だ。データの入手と利用可能性を分担して調べることとした。初日の打ち合わせは予定通り午後3時に終了した。伊東さんは軽トラックの荷台に、俊介が今朝乗ってきた自転車を荷台に置いて、俊介を自分の農場に連れていった。
このあたりは平地が少ない。伊東さんは田んぼとか畑に適している場所ではなく、あえて山の尾根のような傾斜地を開拓して主にスーパーフード的野菜を栽培している。
伊東さんは言う。
「地元の皆さんが営々と作り上げてきた農地を大切にしたいと思っているんです。いま高齢者の皆さんが農作業している田んぼにも畑にもいつか若い人たちが戻ってきて後を継いで、昔のように農作業をする、そんな時代がまたきっとやってくる・・・そう夢信じているからです」
俊介は伊東さんの畑を歩きながら、伊東さんのここまでくるまでの努力と苦労を思わずにはいられなかった。伊東さんの段々畑を歩いて見て廻った。一番下の畑はモリンガ、その上はえごま、その上はビーツ、さらにその上は秋ウコンだった。
ざっと見て畑の面積は2反歩ぐらいだろうか。一番多くの面積を占めているのはえごまだった。
まだ畑を開拓するスペースはありますよ、と伊東さんは笑いながら言う。
農場を見学した後、伊東さんは民宿迄軽トラックで俊介を送ってくれた。夕食迄の時間、自分の部屋で今日伊東さんと話した内容をシートを見ながら確認した。
やはり一人で考えているとどうしても主観的になるし、限界もある。今日伊東さんと打ち合わせできて良かった、改めて思ったことだ。
夕食はソバとお皿一杯の野菜の天ぷら、とろろ汁がついている。全部地元で採れたものとのこと。デザートは桃。
食後、高梨さんがやってきた。囲炉裏に座って高梨さんの話を聞く。
高梨さん「今日はお話の機会をつくってくださりありがとうございます。
フィンランドには3ヶ月ほどいました。フィンランドにも民宿的施設があり、私はある家庭の1室を借りてそこで過ごしました。ただ泊まるだけの部屋でしたが、床も壁も天井も全部木板が張ってあって、とても気持ちが良かったことを覚えています。その家から私はフィンランドの自然生活研究所に毎日通い、ワ―ケーションプログラムに参加して勉強しました。部屋の中での講義の後、外に出て森の中でのワークショップが毎日ありました。講師の先生は森についていつもこう言っていました。
「森は私たちの心と身体を癒し、浄めてくれるとても大切な場所です。現代人は日々の生活の中で、残念なことですが、森から遠く離れ、森の中での生活を失っています。森は恐ろしい場所ではありません。敢えていうなら神聖で、とくべつなところです。一度森の中で生活してみればそれは分かることです。私たち人類は森に守られて生きてきました。このワ―ケーションプログラムに参加される方には是非そのことを知って、体験して頂きたいと思います」
俊介「日本人で参加された方は他にいましたか」
高梨「今回は私だけでしたが、外国から大勢の方が参加されていました。アメリカ、カナダ。ヨーロッパからはイタリア、ハンガリー、イギリス、フランス、オーストリア、それからオーストラリア。東南アジアからは韓国、シンガポールだったでしょうか」
高梨さんとの話は尽きなかった。時計は午後9時半を回っていた。高梨さんとはまた話す機会をもちましょうと約束して別れた。
今日は一番遅い風呂に入り、寝る前に今日一日を振り返り、日記をつけた。布団に横になったのは11時だった。
翌日も伊東さんとの打ち合わせは午前8時から始まった。今日はシート4から6迄。シート4と5は現在伊東さんの農場で栽培している日本型スーパーフードの種類と栽培方法、加工方法について再確認の意味も含めて伊東さんから説明があった。また栽培方法についても伊東さんから自分の農場で行っている有機栽培の方法について説明があった。一番検討に時間がかかったのはシート6の販売についてだった。現在は道の駅での販売、ネットでの販売が中心になっている。今後のことを考えると安定的に購入してくれるユーザーが必要だ。さらに販路開拓にあたってしっかりしたパートナーがいてくれれば心強い。話合いながらユーザーとパートナーについていくつかの候補を上げた。プレゼンのための資料をつくることにした。
今日も出前の昼食を食べながらの会議となった。午後3時には今日の分は終わり、ログハウスの前で別れた。
伊東さん「やっぱり販売ですね。いくら一生懸命つくっても売れなければ回っていかない」
俊介「伊東さんが販売で苦労されていることは私も良く分かります。山梨県産の日本型スーパ―フードに合った販売方法を考えていきましょう。このプロジェクト実現の最大の鍵は独自の販売方法にあるのではないか、そんな感じがしています。」
ログハウスでの会議の後、俊介は自転車に乗って町の中のサイクリングロードを走ることにした。サイクリングロードは4コースある。打ち合わせで頭の方が疲れていた。気分転換をしたかったので森の中を走るサイクリング・ロードに向かった。森の道に入るとひんやりした。ゆっくり走っているうちに疲れが消えていった。
夕方民宿に戻り夕食を摂った。今晩はこの町の名物料理「イノシシ肉のすき焼き」
だった。ジビエ料理だ。思っていたほど肉は硬くない。美味しく食べられた。今晩の宿泊客は私一人ということなので、食後民宿の縁側でお茶を飲みながらボンヤリした。
真理に電話をかけた。
俊介「ぼく。昨晩は電話できなくてごめん。変わりない?」
真理「いそがしそうね。こちらは変わりありません。仕事は捗っている?」
俊介「順調だよ。いい企画書が作れそうだ」
真理「良かった。ワ―ケーションなんだから仕事ばっかりでなく、自然の中での生活も存分に楽しんできてくださいね」
俊介「そうする。それじゃお休み」
風呂に入り、寝る前に今日一日を振り返り、日記をつけた。布団に横になったのは10時だった。布団の上で考え続けていたのは伊東さんのスーパーフード農園を観光資源にできないだろうか、ということだった。考えているうちに眠りに落ちた。
3日目の朝、朝陽が窓越しに入ってきて部屋を明るくしている。枕元の時計を見ると6時だ。俊介はすぐに着替えて朝の散歩に出ることにした。朝食の準備をしている女将さんに声を掛けて道に出た。向こうに見える畑で民宿のご主人が畑作業をしている。俊介は坂道を途中迄降りてから、山の中腹にあるお寺に行ってみることにした。石積みの階段を上がっていった境内からみると町が一望できる。ちょっと不思議な感覚だったが、町を見ながら懐かしい思いに襲われた。
朝食は今日は洋食。パンとハム。ジャムもついている。それにカボチャのスープ。
飲み物はコーヒー。デザートはアケビ。
今朝テーブルについたのは私一人だった。女将さんによれば今週の金曜日夕方、団体客がくるとのこと。
食後、今日の仕事とその後のリクリエーションについてコーヒーを飲みながら流れをレビューした。仕事の後の時間は自転車でこの町の神社仏閣を回ることにした。民宿にパンフレットが置いてある。それから今日の伊東さんとの打ち合わせの準備をした。打ち合わせは今日が最後だ。シート7と8について打ち合わせる。ポイントになるのは損失の許容できる限度額の設定と地域商品としてのブランド化だ。やってきた観光客が農場での経験価値を高め、満足し、繰り返し、農場に来るようになる。そのためにはどうしたらいいか。そのあたりまで考えてから、自転車に乗ってログハウスのオフィスに向かった。
伊東さんは8時前に来ていた。ログハウスの前の森を見ていた。
朝の挨拶を交わした後、俊介は2人分のコーヒーを入れてログハウスの前のテラスのテーブルに運んだ。
伊東さん「ありがとうございます。ところで野崎さん。昨日の打ち合わせの後、実はスーパーフード農園での栽培作業、収穫した後の料理づくりをこのプロジェクトの特長にできないかと考えていたんです。実は私の家内は管理栄養士でして、前からスーパーフードのメニューづくりに取り組んでいます」
俊介は答えた。「それはいいですね。私はあの後、伊東さんのスーパーフード農場を観光資源にできないかと考えていました」
2人はミーティングルームに戻り、打ち合わせを始めた。今日はシート7と8の検討だ。事業の売上・収益計画のためのループ図を徹底的に検討した。売上・利益とも6割は安定購入先で何とか固めたい。可能性のある安定得意先のリストづくりを行った。そして残りの4割は観光資源として農場を位置付けた場合の売上・収益となる。最後のシート8の地域ブランド化のために一番大事なことは農場体験をした観光客の経験価値だ。観光客がその価値を友人、知人に話してくれる。そして再訪する。そんな形でスーパーフード農場のファン、さらにはサポーターになってくれればスーパーフード農場のブランド化は自然な形で進んでいく。問題はどのようにしてスーパーフード農場での体験価値を高めていくかだ。伊東さんから体験価値については奥さんとも話し合いたいとのことだった。
その内容については今週の金曜日までに伝えてもらうことにした。
3日間にわたる俊介と伊東さんとの打ち合わせはこれで終わった。一杯やるのは金曜日にして、俊介と伊東さんはログハウスの前で別れた。俊介は自転車で竹細工でいろいろなものを作っている工房を訪問して、竹細工の作り方を見せてもらった。ここの竹細工は有名で特に江戸時代には名産として江戸でも売られていたとのことだった。そこに夕方までいて、夕暮れが迫る頃、民宿に戻った。
既に夕食の時間になっていた。食堂に行くと、若い女性が3人、食事をしていた。楽しそうに話合っている。食卓に花が置いてあり、それを摘まんで食べている。俊介は声を掛けた。
俊介「伺ってもいいですか。花を食べていますが、それは食べられるんですか」
3人の中の年長らしき女性が答える。
「食べられます。最近人気が出てきているエディブルフラワー、っていうんです。
季節ごとにいろんなエディブルフラワーが咲きます。それを食卓に添えると、なんとなく華やかになるんです。ここの町にはエディブルフラワー・ガーデンが
あって、私たちは季節毎にここに来て、楽しんでま~す。」
夕食はカツカレーだった。味噌汁とサラダ。カレーの辛さがちょうどいい。食べ終わった後、自分の部屋に戻った。少し横になっているうちに眠ってしまった。
ご主人の大森さんに聞いたら、今晩は男の客は俊介だけなので、男湯には午後10時迄ならいつでもOKとのことだった。9時半に風呂に入り、日記を書いて、3日目の晩は午後10時半に布団に横になった。
木曜日。
翌朝、朝食後少し早かったが7時15分頃民宿を出て、いつものように自転車でログハウスのオフィスに向かった。管理スタッフは来ていて部屋の掃除をしていた。
俊介は自分に気合をかけるように、思わず言った。「さあ、今日は集中して頑張ろう。今自分にできる最高の企画書をつくりあげよう。伊東さんのためにも、そして自分のためにも。・・・こんな気持ちになったのは初めてだな」
オフイスの窓の向こうには森が見える。
俊介は無心に企画書づくりに取り組んだ。ワクワクしながらシート1から8迄の余白に貼られたポストイットを見ながら、それぞれのシートの内容をまとめていった。何か上の方からインスピレーションが流れてくるようなちょっと不思議な感じもした。
テラスで出前の昼食を森から吹いてくる心地よい風に吹かれながらとった。昼食の後、3時迄シート1から8迄の内容をB4 1枚に箇条書きにした。これで今日の仕事は終了。自転車で民宿に戻り、民宿の建物の後に迫っている山の峠のところまで登ることにした。ワ―ケーション・コーディネイターの高梨さんが一緒だ。大体2時間の予定。
登山口らしきところから登っていく。木の根が地上部に露出しているところがあり、気をつけないと躓きかねない。高梨さんは時々立ち止まって声を掛けてくれる。切り株のあるところに腰かけて一息いれる。
高梨さん「フィンランドにいた時にも山登りをしました。向こうは殆ど針葉樹林です。ちょっと単調ですね。それに比べ日本の、このあたりの山には広葉樹林の場所もあります。木の実が多いためか、サル、リス、タヌキなどがいます。私はフィンランドに行って、そして改めて日本の山村を考えた時、「里山」はいいなと思いました。人が田畑を耕しながら、山の恵みにも預かる。今テレビでポツンと一軒家という番組がありますが、日本人は里山で動物たちと共生しながら生きてきたんだと改めて気付かされました。日本の童話にはそんな話が多いですよね。そこが日本人の本当の故郷ではないか、と最近思い始めているところです。
峠についた。視界が開けている。富士川の流れ。その両脇に点在している建物。
俊介は風景にしばらく見とれていた。峠の切り株のあるところでポットのコーヒーを飲みながら、俊介は日本の自然の中で生きるとは、どんなことなのか思いを巡らしていた。以前俊介は取材のためにマレーシアに行ったことがあった。
南洋地方には乾季と雨季があるが、台風はない。ということで自然の脅威を感じる機会はそれほど多くはない。それに引き換え、日本は毎年台風が来て大きな被害をもたらす。地震も多い。また時に火山が爆発する。日本人ほど自然の恵みと
同時に自然の恐ろしさを感じている民族はいないのでないか。そして自然を恨まないでそのまま受けとめている。そんな気付きを俊介は高梨さんに伝えた。
金曜日。
この日も昨日と同じように7時15分に民宿を出て、8時前にログハウスのオフィスに入った。ミーティングが空いている。俊介は今迄まとめた内容を、リハーサルの形でおさらいすることにした。
まず会社の上司、同僚向けに。図を使いながら約1時間、仮想のプレゼンをした。ログハウスのスタッフが「だれか来られたんですか?」と部屋にやってきたが事情を説明した。ポイントはこの事業が会社のイメージアップに役立ち、継続的な経済的利益をもたらす、というところに置いた。
次はパートナー向けに。主に大企業が対象になる。SDGsに具体的に貢献することになり、社員のモラールアップに役立ち、ひいては株価にも好影響を与える。それぞれ出てきそうな質問、疑問も想定して答えた。
午後3時には終えることができた。
午後4時頃までログハウスのテラスでパソコンから流れる音楽を聞いていた。
伊東さんが来たので、ミーティングルームに戻り、伊東さんにプレゼンをした。
伊東さんは笑顔で言った。「最高の企画書ができましたね。後は実行あるのみ。」伊東さんは奥さんの提案を持ってきてくれた。
その晩、2人はちょっとお洒落な町のイタリアンレストランで食事をし、ワインで祝杯を上げた。
民宿に戻ったのは9時。風呂に入り、日記を書き、東京の奥さんにメールを送った。「今回のミッションは無事完了した。明日午後3時頃帰宅します」
土曜日。
民宿での朝食後、町を散歩している俊介の姿があった。
(了)