江戸時代的働き方を現代に活かす
明治初期に現在の暦、グレゴリウス暦が日本に入ってくるまで、日本人はそれこそ年中無休で働いていたとのことだ。恵まれた立場にいる人でも休日をとれたのは1日と15日、月2回だった。働く時間は士農工商によって違っていただろうが、当時は夜明けと共に活動を開始して、日没と共に一日の活動を終えるという、自然のリズムに沿って一日を過ごしていたと思われる。
夜はアンドンを使って部屋を明るくしたが、使う灯油はエゴマ油。高価なものなので、長時間アンドンを灯しておく訳にはいかない。節約第一だ。
さて当時の働きぶりを見るために、家具直し職人の熊五郎の一日を追ってみよう。
夜明けと共に起床。あちらこちらで雄鶏が鳴いている。井戸で顔を洗い、口を漱ぐ。
衣服を改めてご近所回りをする。
「なんか困っていることはありませんか」一軒一軒歩く。
「ちょうど良かった、あそこから雨漏りがしてね。夕べ雨が降ってきた時には家の隅に逃げていたよ」一人暮しのとめ婆さんが顔を出して言う。
熊五郎は家に上がりこんで雨漏りの個所を確かめてから屋根に上がる。桧皮がずれている。
それを直してから、降りてきて、
「もう大丈夫だ、直しといたよ」熊五郎はとめ婆さんが出した茶を受け取り、一息入れる。
「婆さん、身体の具合はどうだい」などど聞いている。
「長尻をしてはいけねえや」と腰を上げ、又一軒一軒聞いて回る。
半刻後、戻ってきて女房のお順と一緒に朝飯。菜っ葉飯にがんもどきがおかずだ。残った飯に味噌汁の残りをかけてかき込む。
「おまえさん、今日の段取りはどうなっているの」
「昼に一旦帰ってきてから寄り合いに出かける。子ども達のための和算塾を町内でつくることになってな、その打ち合わせだ」
熊五郎は近くの作業所で仲間と二人でみっちり、持ち込まれた家具直しに励む。手間賃を二人で分ける。
「これでなんとか明日のおまんまも食える」
昼は家に帰ってきてウドンとかき揚げの昼食。ゴロッとなって腕枕で昼寝。
お順に起こされて急いで寄り合いにかけつける。寄り合いは一日置きだ。
熊五郎は落語と人形浄瑠璃が好きだ。明日は仕事の後、落語を聞きに行き、その後居酒屋で仲間の銀次と一杯やることにしている。
江戸時代は年中無休、稼ぎの時間は朝から昼迄。皆「稼ぎ」だけではなく「務め」も当り前のこととしてやっていた。遊びにも手を抜かない。
貧乏だが、回りも皆貧乏だ。気に病むことはない。今日を精一杯、楽しく生きてやろう。
熊五郎には来年、子が生まれる。