仙台藩吉岡宿と但木家
今日の日本経済新聞の「明日への話題」で弁護士・元検事総長の但木敬一氏が「歳月」と題して明治2年からの家系の歴史を短く記している。深く心に響く文章だった。仙台藩家老だった但木土佐は戊辰戦争の首謀者として仙台藩麻布下屋敷で斬首の刑に処せられた。但木敬一氏の曾祖父は土佐の兄であったから家名断絶、家禄没収の厳しい処分を受けた。祖父はハワイに移住し、日本人学校の校長となった。・・・この記事を読みながら、私の頭に閃いたことがあった。それは磯田道史氏の「無私の日本人」の中の「穀田屋十三郎」だった。この「穀田屋十三郎」の舞台は仙台城下6里ほどのところにある吉岡宿で、ここは仙台藩にとっては「所拝領の地」で重臣但木家に与えられていた。つまり殿様の直轄領ではなかった。そこに吉岡宿の苦しみがあり、また江戸時代にあって庶民が仙台藩に金を貸付けて利息を毎年取るという立場逆転の、当時にあっては途方もないビジネスモデルが生まれた。磯田氏は次のように書いている。
「悪い領主ではないが、いかんせん千五百石である。領主としては小さすぎ、領民への手当や世話が行き届かない。(同じ領民であるのに、これほどまでに、待遇に差があるのは理不尽ではないか)事実、吉岡の者は、みな、その不満をくすぶらせている。」
(同じ領民であるのに、これほどまでに、待遇に差があるのは理不尽ではないか) 事実、吉岡の者は、みな、その不満をくすぶらせている。」 吉岡宿はそこに住む人々を救うための文字通り公共的なビジネスモデルだった。 磯田氏はこう指摘している。 「江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民はー親切、やさしさということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことのないほどの美しさをみせた」 この文章は私が「欅風」を書き続ける意味を教えてくれた。そして日本型ビジネス モデルのDNAにも気付かせてくれた「宝」のような言葉だ。(同じ領民であるのに、これほどまでに、待遇に差があるのは理不尽ではないか) 事実、吉岡の者は、みな、その不満をくすぶらせている。」 吉岡宿はそこに住む人々を救うための文字通り公共的なビジネスモデルだった。 磯田氏はこう指摘している。 「江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民はー親切、やさしさということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことのないほどの美しさをみせた」 この文章は私が「欅風」を書き続ける意味を教えてくれた。そして日本型ビジネス モデルのDNAにも気付かせてくれた「宝」のような言葉だ。(同じ領民であるのに、これほどまでに、待遇に差があるのは理不尽ではないか) 事実、吉岡の者は、みな、その不満をくすぶらせている。」 吉岡宿はそこに住む人々を救うための文字通り公共的なビジネスモデルだった。 磯田氏はこう指摘している。 「江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸期の庶民はー親切、やさしさということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことのないほどの美しさをみせた」 この文章は私が「欅風」を書き続ける意味を教えてくれた。そして日本型ビジネス モデルのDNAにも気付かせてくれた「宝」のような言葉だ。
但木敬一氏のコラムはもう一度「無私の日本人」を手にとる機会を与えてくれた。