人を育てることの大切さと難しさ
どんな事業であれ、それを担うのは人である。人がいなければ事業を展開することも、さらには続けることも叶わない。まさに事業は人なり、だ。そして人を育てることはもとより簡単なことではない。時間もかかる。戦後、日本に新しく高炉メーカーが誕生した。西山弥太郎氏率いる川崎製鉄。川崎重工業の製鋼部門から独立した。世界銀行の借款で高炉建設を行なおうとしたが、当時の日銀総裁一万田尚登がこれに異を唱え、「ぺんぺん草を生やしてやる」と言ったとか言わなかったとか、今でも語り草になっている。一万田尚登は八幡製鉄を中心とする日本鉄鋼業の粗鋼生産能力から判断して、過剰設備という考えを持ったのかもしれないが、結果的には川崎製鉄は鉄鋼業界の活性化に大いに貢献することとなった。さてここから先は当時のことを知る関係者から聞いたことなので、裏づけの確認をとっているわけではない。事実関係の誤認があったらお許し願いたいが、私自身、「さもありなん」と思っているので、「秘話」をご紹介したい。
その関係者によれば、西山社長は高炉建設に邁進していたが、高炉で一番重要な作業、「出銑」の技術者がいなかった。窓から溶けた鉄の色を見て、鉄を取り出す作業だが、それこそ長年の経験がモノを言う。最近ではコンピュータで解析して「出銑」のタイミングを「今だ」と判断できるようになったとのことだが、当時はまさに「匠のわざ」だった。困り果てた西山社長は当時の八幡製鉄の社長(確か九鬼氏だったと記憶しているが)に頼み込んだところ、九鬼社長は八幡製鉄の選りすぐりの「出銑」の技術者を川崎製鉄に派遣、この結果川崎製鉄は新鋭設備に、すぐれた技術者を迎えて順調に発展の道を辿ることとなった。
高炉設備はおカネがあれば数年でできるが、人ができるまでは一桁違う年数がかかる。企業は人を育てるために利益を使う。人材投資を惜しまない会社が存続、発展していく、という真実はいつの時代でも変ることはないだろう。それにしても当時の経営者の腹の大きさには言葉を失うしかない。