生物多様性のバランスについて
最近注目されているのが生物多様性だ。デヴェロッパーの知人が「これからは都市緑化から都市生物多様性にシフトしていく」と言っていたのが印象的だった。ある有機的農業の専門家は生物多様性の中で野菜、稲の栽培をしているが、「自然の立場からすると、理想的な生物多様性の場所は耕作放棄地ではないでしょうか」と言っていた。つまり生物多様性も人間の立場と自然の立場と2つの立場があるということになる。人間の立場については、敢えて言えば人間にとって好ましい生物多様性、コントロールされたバランスの取れた生物多様性、ということになるだろうか。
それで連想したのが芝生緑化だ。芝生も抛っておくと雑草が生えて、次第に増えていく。さらにそのままにしておくと雑草の種類も増えて、野原になっていく。私が子供の頃は家の回りに野原が沢山あって、そこで遊んだものだ。ドイツでは粗放性緑化と言って、芝生緑化のある意味での自然的進化形のような受け止め方もあるようだが、日本ではやはりキレイな芝生が良いとされている。
さて都市生物多様性の場合、昆虫がやってきて、それを食べに鳥がやってくる・・・ということになり、鳥はフンを落とし、撒き散らす。当然人々にフンが落ちることもあるだろう。昆虫も鳥も野生の姿を現すのではないか。
日本には里山という人間と自然が共存している場所がある。都市生物多様性を本格的に展開するために、温故知新で里山から学ぶことがあるのではないか。
小川町の下里の金子さんの田圃を見ながら、金子さんが目指している生物多様性の稲作の基準が何なのか、私などには分からない深い部分があるのだろうが、それを見つけたいと思ったことだ。