人口約1万人の南部町の人々の暮し

山梨県、南部町は南北に走っている身延線、国道52号の丁度真ん中あたりにあり、甲府に出るのも静岡に出るのも便利なところだ。町の産業は林業とお茶、生姜などの農業が中心で、勤め人の多くは甲府か静岡に通勤している、とは土地の古老の話だ。身延線の上りは静岡県富士市行き。下りは甲府行き。簡単な言い方をすれば甲府と富士、静岡で稼いで南部町にお金を持ってくる。現在はそれでいいのかもしれないが、やはり最終的には南部町で仕事をし、収入を上げる仕組み、ビジネスモデルを創り上げることが望ましい。他都市に依存する収入構造から自分の町で収入を上げる。私達は今改めて、江戸時代300藩のあり方を考えて見る必要があるのではないだろうか。各藩はどんなに小さくても、自力で生きていかなければならなかった。他の藩に助けてもらうこともできなかった。そのような厳しい条件の中で各藩は生き延びる道を模索した。藩を実質的に支えたのは自立心に富む、貧しさを恐れない藩に住む領民だったのではないかと私は考えている。

磯田道史は指摘する。

「江戸時代、とくにその後期は、庶民の輝いた時代である。江戸時代の庶民は、

―親切、やさしさ

ということでは、この地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさをみせた。

倫理道徳において、一般人が、これほどまでに、端然としていた時代も珍しい」

(「無私の日本人」77P)