私の青空
桂銀淑のヒット曲、「すずめの涙」の2番に次のような歌詞がある。「口紅も香水もつけないで誰かと暮すわ 色づいた夢を見るよりささやかでもいいの あたしだけ飛べる青空を持っている人ならば」ごく最近のことだが、青空を持っている男性は少ないのではないか。多くの男性は頭上に曇り空、さらには雨空を持っているのではないか、と思った。生きづらさの多い現代は男性が頭上に青空を持つことが難しい時代になっているのかもしれない。
歌詞を読むと、自分の青空だけではなく、相手の女性が自由に飛べる青空を持っている男性とはどんな人なのだろうかとイメージする。「ささやかな暮し」かもしれないが、そのような男性はそうざらにいるものではない、と私などは思う。このような物思いの時に、山下良道師の「青空としてのわたし」を読む機会があった。この本を読みながら、2つのことを考えた。一つは自分の心の問題に向き合うことの大切さと大変さに共感をおぼえた。そのために一生を使い果たしてしまうかもしれない。もう一つは、青空を自分の本質だ、それが仏教3・0であると確信している山下師の充実感だ。「私は今が、人生で一番幸せです。ちっぽけな庵ですけれど、ここで私は本当に信じ切れることだけをしゃべって、みんなにやってもらっています。」ここには誰もが求めている自分の存在価値をやっと見つけたという喜びが溢れている。「青空としてのわたし」から私はどんなことに気付かされていくのか、現在いろいろなこと考えているところだ。