NHK「坂の上の雲」 日本海海戦を見て
「坂の上の雲」の最終回をビデオに撮りましたので、繰り返し見ています。私が一番胸を打たれるところは真之が子規の墓前を去り、帰路についた場面です。
雨の道を菅笠を被って歩いていた真之は、立ち止まり、菅笠を上げます。
「道は、飛鳥山、川越へ通ずる旧街道である。雨のなかで緑がはるかに煙り、真之はふと
三笠の艦橋からのぞんだあの日の日本海の海原をおもいだした」
その時真之の胸を去来した思いがどのようなものであったかは恐らく私の想像を超えているでしょう。
何時見てもこの場面の映像の美しさに私は心を奪われます。
私のようなささやかな人生行路を辿って来た者にも、長い人生で自分が一番輝いていた時、一番苦しかった時を遙に見る時があります。その時の思いを言葉で表すことはなかなか出来ませんが、一つだけ言えることは私の人生は私にしか分からない、ということです。
いや私にも私の人生の全貌は、本当は分からない、というのが真実に近いのかもしれません。
「坂の上の雲」では武士の情けという言葉が出てきます。ネボガトフ艦隊との対決の際、真之が叫びました。
「長官、武士の情けであります。発砲をやめてください」
また第二戦隊の司令官、島村速雄も逃げるイズムルードを追いかけようとする川島になだめるようにして言ったとのことです。
「武士の情けだ」
明治維新を経て、士農工商制度もなくなり、武士もいなくなりましたが、武士道精神は脈々と流れ続けていた、ということでしょう。島村速雄を書いた「海将伝」を読みますと、まさに武士道精神の化身を見るような思いがします。秋山好古も化身の一人ではないでしょうか。
さて今日において武士道精神を具現化しようとしたらどのようになるでしょうか。江戸時代の若者には「自分が一日でも怠れば、その分国が遅れてしまう」という自覚があったとのことです。真之もそのような意識を持っていました。
日本が転換期にある今こそ、考えていきたい大きなテーマです。