塾という教育形態

日曜日には教会の礼拝の後、最近Mさんとお茶を飲む機会が多い。北浦和駅近くのいつもの珈琲館に行った。今日の話題は、ルカの福音者の放蕩息子の帰郷を巡って、父というのはどういう存在なのか、ということについて話し合った。私の父は軍隊帰りで、家庭でも軍国調。怖い存在だった。一方Mさんは2歳頃にはお父さんがなくなり、父親の記憶がなく、父親のイメージを自分の中でつくることが出来なかったとのこと。Mさんも私も今は人の親だが、父親として「これ」というあるべき姿は依然模索中ということで意見が一致。まだまだ自分なりの父親像をいうものを確立できていない。それから宗教的指導者について。イエスキリストもブッダも自分で筆をとって教えを記してはいない。皆弟子が書いたものだ。弟子として「これはどうしても残して、後世の伝えていきたい」という師の言葉を文書にしているが、やはり直に話を聞くのと、文字で読むのとは違う。できることなら直に聞いた方が得るものが大きいはずだ。そんなことから塾という教育形態について話が発展していった。塾の場合、塾長と塾生が1:1で向き合い、対話することが基本になっている。そこには知識だけではなく、人格的な交流もあり、よく師の薫陶を受けたなどというのはこのようなことを指すのだろう。江戸時代にはこのような塾が多くあったらしい。石田梅岩は享保14年(1729)京都・車屋町の自宅で塾を開いた。当時としては珍しいことだが、女性も講義を聴くことができた(男女の仕切りはあったが)。吉田松陰は松下村塾で明治維新のための逸材を育てた。書かれた本を読むことも大事だが、やはり限界がある。塾という教育形態を見直してみるのも良いのではないか。今回私は有機農業を学ぶために「小川町・しもざと有機野菜塾」に参加する。「塾」と銘打っているのが何か嬉しい。