私の思想をつくったものは何だったのだろうか?

 

もしその人の性格がその性格に相応しい読書体験へと人を導く、という説があれば、私はその説に頷くものの一人だ。若い頃、私はロマン的な世界、つまり内面の世界の豊かさに憧れていた。今朝東京新聞の朝刊を電車の中で読んでいて、「デーミアン」の紹介記事に出会い、それに触発される感じでいろいろなことが頭の中を駆け巡った。私は若い頃、2つの世界の分裂を常に意識していた。外なるものを内なるものに同一化させようとする私の思いは、外なる世界に対して持っていた違和感、疎外感から来ていたのかもしれない。さらに言うならば外なるもので私の内なるものに同化していくものを探していた。空想的主観的自己救済的だったように思う。私はこの現実世界で生きていくことはできない、となぜか思いこんでいた。それも自分の性格から来るものだろう。そのような時、ヘッセの「デーミアン」を、シュトルムの「みずうみ」を、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を読んだ。ロマン主義は内面の世界の豊かさをファンタジーのイメージで教えてくれたが、私の内面はいつも暗く、また廃墟のようでもあった。内面の世界も私にとって心休まる世界ではなかった。

内面にも還るところが結局は無く、また外部の世界は私にはよそよそしかった。そしていつしかそのような外部の世界に対し、マルクス主義的理論を背景にした<変革>活動に私は向っていったが、それも空しい結果を見るだけだった。その時、森有正の「バビロンの流れ」を読み、「内なる声に促されて生きる」に心の傷を癒され、一筋の光を見たような気がした。私は薄学の徒であり、森ほど深遠な世界に生きてきた人間ではない。「内なる声」も聞こえたようでもあるし、そうでなかったかもしれない。内面的にも外部的にも、なんら確かな根拠も持たず、いわんや内部と外部との同一化もできず、バラバラな状態で、青年期を終えることとなってしまった。今この歳になってみるとそれが分かる。青年期を終え、30代、40代、50代を私は何を支えにして生きてきたのだろうか。恐らく「働いて、生きていかなければならない」そんな単純な考えで宿題をそのままにして生きてきた、というのが実情かもしれない。働くことはある意味で大きな救いだった。今は振り返り、そして向き直って未来に向かう時だ。幸いそのような時が与えられている。老年期とはそのような時なのだと思う。