「価値」について
今日はビジネスモデルにおける「価値」について考えてみたい。「ビジネスモデル・ジェネレーション」ではビジネスモデルを次のように定義している。「ビジネスモデルとは、どのように価値を創造し、顧客に届けるかを論理的に記述したもの」。そして価値提案とは「顧客の抱えている問題を解決し、ニーズを満たすものであり」「特定の顧客セグメントが必要とする製品とサービスの組み合わせであり、ベネフィットの総体」であると。ビジネスモデルは本来、ビジネスメソッド、つまり「道に沿って」という方法論として米国で生まれたとある本で読んだことがある。その後モデルは方法論から仕組みへと発展していった。そしてビジネスモデルの中心にはイノベーションがある。新しい価値の創造である。さてそれでは価値とは何か。改めて考えてみたい。高名なインド哲学者の中村元先生によれば、「「価値」ということは、日本では古くは言わなかったと思います。西洋の哲学思想が入ってきてから、大いに言われるようになった。それ以来、価値ということがひとつの基準的な観念となりまして、人生観のよりどころは価値観であるとか、東西によって、あるいは民族によって価値観が違うとか、いろいろなことが言われるようになりました」中村先生は価値という言葉が19世紀末の新カント派のヴィンデンバント、リッケルトあたりから出てきている比較的新しい思想であることを述べられた上で、日本でドイツの価値哲学がなぜ受け入れられ、流行したのかを説明する。「大正の末期から昭和の初めに、みな西南学派のヴィンデンバント、リッケルトのところに行って「価値哲学」というものを勉強してきたからです。そして、極端に言えば、無批判に受け入れた」問題は無批判に受け入れた、というところにある。わたし達日本人は欧米の学者の新しい経営理論に飛びつき、それを無批判に受け入れ、あまつさえそれを理論どおり、現実の経営課題に適用しようとする愚をおかす。いまだに欧米崇拝の思想が根強い。学ぶことは大事だ。基本は鵜呑みではなく批判的受容だ。日本発の経営理論で現在のところ世界のスタンダードになったのはトヨタの「カイゼン」だけではないだろうか。野中先生の「SECIモデル」もそうかもしれない。「カイゼン」は過剰在庫と労働争議で会社が危機に瀕した時、トヨタの創業者が「現場で、自分達で考え、考え抜いた」ところから生まれてきた経営思想であり、現場で自分の頭で考える、ということを基本にしている。中村先生は、価値は「最初は経済的な意味で、なにか望ましいもの、役に立つもの、評価しうるもの、重要なもの、値打ちのあるもの」とウエブスターの辞典を引用して説明した上で、「具体的な望ましきものというのは、民族によって、時代によって、あるいは社会によって違う」と個別的に対応することの大切さを指摘される。ビジネスの世界では、やはり個々の顧客のどれだけ真剣に向き合い、具体的言葉と内心の思いに接し、洞察し、自分の頭で考える、それが大事ではないだろうか。そして時代の風潮が現れる波頭と、波の底に流れる時流を自分の目と足で収集し、分析し、編集する。そこで初めてビジネス風土に根差した、血の通った、持続的な仕事が生まれてくるのではないだろうか。日本には日本の風土に根差したビジネスモデルに相当する事例が数多く構築された。特に江戸時代、各藩が自力で生き延びなければならなかった体制下で優れた経済思想が生まれ、志のこめられた実践が行なわれた。温故知新、という言葉を新しい思いで改めて噛み締めたい。
(中村先生の言葉は「人生を考える」青土社 <価値あるいは美について>から引用させて頂きました)