コミュ二ティ論へのアプローチ

 

コミュニティという言葉が良く使われるが、とらえどころの無い感じが否めない。「コミュ

二ティとは」とジグムント・バウマンは言う。「残念ながら目下手元にはないが、わたした

ちがそこに住みたいとこころから願い、また取り戻すことを望むような世界を表している

のである」またこうも言う。「『コミュ二ティの一員である』という特権には、支払うべき

対価がある。・・・安全を得るかわりに自由を失うことを意味する」(「コミュニティ」)

何事であれ、何かを考える時にはやはり「定義」をすることが重要だ。共同体については

古典的な理論としてはテンニュスの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」がある。アメ

リカの社会学者マッキバーはこれを「コミュニティとアソシエーション」の関係として考

察した。内山節氏は「コミュニティは、共同の関心にもとづく組織体ではない。共有され

た世界として生まれた結合体である。しかもそれは歴史貫通的に成立する」内山氏は「共

同体の基礎理論」の中で今日の共同体にあり方について詳しく所論を述べておられるので、

引用は以上の文に留めて、共同体についての私の現時点での問題意識をまとめておきたい。

1.共同体には欧米的なあり方と日本的あり方がある

2.共同体形成あるいは維持にはそこに住む人間の自我構造が大きく関わってくる

3.日本社会には村落共同体という生活・労働共同体が長く存在してきたが、現在村落

共同体は崩壊の危機に瀕している。一方都市での共同体はNPOを含め形成途上にあり、まだ確立の段階には到っていない。これが日本社会の根本的な不安定要因になっている

4.日本の場合、会社(企業)が共同体的要素を企業文化として体質的に持っており、共同体的要素と機能的要素を融合あるいは弁証法的に発展させることにより、経済成長を実現し、また危機を乗り越えてきたが、今やその転機を迎えている(この点については昨年8月のセミナーで触れた)

5.共同体は自然的、地理的、歴史的基礎の上につくられている

6.共同体は現在のような高度情報化社会ではリアルな世界とバーチャルな世界との複合体として考えるべきである

(これに関してはボストン大学のスーザン・フォルニエ教授が、ブランドコミュニティについて述べる中で、コミュニティについて、プール型、ウエブ型、ハブ型という興味深い分類をしていることに触れておきたい)

7.共同体は多文化主義のプラットフォームであり、個々の価値は公平に尊重される

8.共同体は常に新しい結合を生み出すことによって活性を維持することができる