帰り道・家路

以前「帰り道」という短編小説を構想したことがあった。きっかけは深夜、私の家の前を歩く人々の足音だった。私の家は最寄駅から徒歩で10分ぐらいの距離にある。家の前の道を歩いて帰宅する人の足音がフトンの中で寝ている私の耳元に響いてくる。足音が近づいてきて、そして遠ざかっていく。私はフトンの中で、「どんな気持で家路についているのだろう」と想像した。深夜だ。疲れていることだろう。良い一日だったのだろうか、あるいは・・・。

私自身の事を振り返ってみると若い、結婚したての頃小田急線の玉川学園前から10分ぐらいのアパートに住んでいた。勤めていた会社は浜松町にあった。当時は高度成長期で皆遅くまで残業していた。帰宅は大体深夜の12時を過ぎていた。玉川学園の駅を降りて坂道を登りながら2階建てアパートの2階のわが家に帰っていった。

家に帰っても仕事の事が気になって頭から離れなかった。毎晩遅くまで仕事をしていると肉体的にも精神的にも疲れが溜まってきて、注意力と集中力が落ちてくるのは避けられないところだ。当時私は海外向け鉄鋼製品の輸出を担当していたので、毎日海外支店の担当者に見積、オファーを作成し、テレックスで送っていた。アクセプトされれば契約成立だ。だから見積間違いがないか、条件設定に不備がなかったか、要するにどこかでチェックミスを犯していないか、気になっていた。だから私の場合、帰り道はまだ仕事と一緒だった。「今日も無事仕事が終った」というような軽やかな気持ちではなかった。深夜の住宅街を歩く私の足音をもし誰かかが聞いていたら、何か重そうな足取りだな、と思ったことだろう。また接待で、あるいは同僚と飲んで帰ることもしばしばあった。その時の足音はどんな感じだっただろうか。辛い、悲しい思いを抱えて家路を辿ったことも再々あった。一方嬉しいことがあり、そのことを家内に早く伝えたくて家路を急いだこともあった。

深夜、家の前を人が足音を響かせて歩いている。ある時、気になる足音があり、思わず2階の物干し場に出て、その人の後ろ姿を見送ったことがある。足音を聞きながら、昔の自分の足音を聞いているような錯覚に襲われることもある。深夜の足音はなぜか胸の奥まで響いてくる。